2015年4月


「今年も見れた」



                                  iPhone6


敢えてら抜き言葉で申し上げます。

「見れた」は見られた、が正しいんでしょうか?

可能を表す表現の場合、”見れた”と”見られた”は明らかにニュアンスが違う気がして、

この場合はらを入れたくないのです。

らを入れると、なんか意志の力で可能にした。というような自力本願が感じられる。

らを抜くと、なんか

「あー今年も見れたわい。やれやれ、おかげさま」というような、成り行きなので

仕方がないが、なんとかかんとかたどり着いた。という他力本願な感じ。


「今年も桜が見れました」というのは、ダイエットしたり、衰える判断力、記憶力を

叱咤して仕事をしているとはいえ、やはり、

「いつお迎えが来ても不思議ではない…。」(池波調)

私にとっては、ほっと安心できる一区切りを、今年も天が恵んで下された。

というイメージです。

今回は4月初旬に友人と花見をする約束も出来、充実した日になりそうでした。

天気と、桜の咲きごろが心配でしたが、なんとかOK。

この友人は、ずっと年賀状だけの付き合いになっており、今年の正月にもう20年ぶり

という再会をしたので、楽しみでした。

彼は体が悪いのですが、少しの時間なら外出できるとのことなので。


さていつものように自転車で出発。天気良し。

最初にこれも一年の風物詩、氷屋さんに立ち寄り。

ここは氷問屋ですが、夏場はかき氷の販売もしており、私より10歳以上上の店主が、

かき氷を作ってくれます。

この方とは、数年前から9月下旬の店じまいの時、

「来年も絶対会いましょうね」と固く握手をします。

この方は、多分咽頭の病気で声が出なくなっており、いつもジェスチャーで、

お別れするのですが、お互い次の春を迎えられるか?は勝負の様があります。

いつもの笑顔で迎えてくれた店主に、

「今年も会えました。今年はいつから開店でしたか?」と聞いたら、

スケッチブックに、

「3月中旬から開店しました」とのこと。

長い人生に色々な事もあったでしょうし、今は闘病しておられるわけですが、

晩年に毎年半年間、子供達にかき氷(150円〜と安い)を作ってやる仕事ができて、

ちょっと羨ましい人生だな。と思います。



                          iPhone6


地元の桜名所で、川沿いの桜を、まず一枚。

今回は自分のカメラ撮影を優先出来ないので、iPhoneで。



                                  iPhone6


これも、途中の一枚。天理教さんの懸かり桜です。



                          iPhone6


残念ながら、この日は友人のの都合で、花見は流れました。

久しぶりに顔だけ見て帰りました。

午後からちょっと肌寒くなり(花曇りというやつですね)、電動車椅子の彼には、

どのみち無理そうだったので、残念ですが仕方ありません。

夕方、だんだん薄暗くなる中を自転車で戻ります。

思いついて、コンビニで三色の花見団子(三本パック)を購入。

ここは圦中の公園。

池の真ん中に、休憩所があり、夜はそこから夜景を見るのが好きなのですが、

この夜は先客があり、なにやらお二人でしたので遠慮しました。

ここで撮った夜桜が、この写真です。



                                  iPhone6


で、これが団子(笑)。



                                  iPhone6


途中の公園で休憩して、桜と団子。

事故ってから、帰宅途中は何回か休んで走る様にしています。



                          iPhone6


最後にうちの近所の公園で、今年最後の桜見物。

ちょっと幻想的に。



                                  iPhone6


もちろん最後の団子も(笑)。



                                  iPhone6


来年も桜を見れます様に。

 
メールを送信