2014年6月 


「宗春公もさぞや」



                          iPhone5


 最近ほとんどテレビも見ず、新聞も(とってない)読まないので、情報は

ネットと、あと列車の中吊り広告、それから駅の掲示くらいのものです。

いそいで家に帰る時、駅の掲示で、思わぬ行事を見つけました。

ラッキー!休みの日だ!


「徳川園 山車揃え」

日本のお祭りに欠かせない山車(だし)。祇園祭では鉾、高山では屋台、博多なら

山と言うのですよね。

名古屋の山車は、からくり人形が乗る。という点で、日本でも代表的な祭り装置です。

名古屋市と近郊の各地でいくつかの山車がほそぼそと保管されており、

2010年に勢揃いした時は圧巻だったと言われていますが、知らんかったわ。

取材したかった(くやしいのう)。


 今回のイベントは尾張徳川家下屋敷、後の徳川園・徳川美術館に近いいくつか

の町内が保管している山車五台が勢揃いという圧巻。

町内が保管している、と言うのが凄いですよね。

祇園の鉾などは、もう維持・修理するのにそれぞれの家の負担が、外国製高級車の

維持費並にかかると言われています。

名古屋の山車はそれほどでもないでしょうが、カラクリがベストコンディションで

動くには、相当の努力が必要と思われます。

もちろんお金も。


 東区のこのエリアは、徳川様お膝元。

当然町衆のステータスも高く、今回出てきた5台の内一台は昭和26年に再建されたもの。

このエリアは三菱の工場が近いため、集中的な空襲を受け、焼け野原になった地域で、

こういった山車も消失したものが多かったらしい。

再建される名古屋で、町衆のプライドを取り戻すためにも、全力で再建に当たったと

思われます。


 さて揃った山車は、4つの町内が保存しているもの。

中之切、古出来、新出来、筒井の4地区で、


筒井(徳川園に最も近い)が

「湯取車(名古屋で現存の山車で最古。笹を持った巫女が踊り、湯釜から熱湯

(紙吹雪)を撒き散らす)」

「神皇車(これだけ青い幕(後は赤)巫女が鬼に早変わり)」※上の写真


古出来町が

「王羲之車(童子が逆立ち。昭和26年。住民の手で再建)」


新出来町が

「鹿子神車(2体の人形が太鼓を叩いて乱舞。それを見た大将が軍配を掲げる

最もトリッキーなカラクリ)」


中之切が

「河水車(本来この町に伝わる能楽に由来する”石橋車”が戦災で消失したため、

若宮祭の祭礼車”河水車”を中区住吉から譲り受け、人形だけ改装。勇壮で激しい
動きの獅子舞)」



それぞれ由緒ある山車を大事に保存する地元の人々の努力に頭が下がります。


 11時からの行事に10すぎに到着しましたが、既に満員。

なんとかベンチを確保でき、側で売っていた愛知女子商業の屋上で採れた

はちみつと被災地復興を祈るりんごを入れたアイスクリームを購入。

愛女商の子が声を枯らして叫んでいたので、つい買ってしまう

(甘い!アイスだけに(笑))。

美味しかったけど、この高校の屋上って、アニメに出てくるような、

主人公がぼっちで昼飯を食べるような事は出来ないだろうなあ、

蜜蜂がいちゃ(笑)。


 周りには、結構外国人観光客も多い。中国語も飛び交っており、日中関係が

怪しい昨今でも、観光客は多いみたい(台湾の人かも知れないケド)。

さてお囃子と言うより雅楽に近い、ゆったりとした音楽(山車の中に楽団入り)に

乗って、5台の山車が次々と登場。この楽団ですが、面白いことに最後尾、

つまり人から見えるところに、楽器は違えど、可愛い女の子が。そりゃ

見えるところはおっさんじゃないほうがいいわな(笑)。一台だけ小学生男子。

ショタうけする可愛い子だった(笑)。

おっさんは奥の方。そして幕で全く見えないが、上の階には、恐らく数人の

おっさんが、紐引っ張ったり、カムを回したり、大活躍のカラクリ操作を

しているのだらう。


 勢揃いした山車が、一台づつ、徳川美術館前のロータリーに進む。

走行中は全部の童子だけが動いていたが山車上の全ての人形が大活躍。群衆は

大拍手。日差しが強くなり、日傘をさす人が多くて、運営から、後ろの方のため

に畳むよう呼びかけられていました。

赤ちゃんに、慌ててタオルかけたりしてましたが、駄目だって、こんな日向に

新生児連れてきちゃ(怒)。


 さてカラクリが終わった後、本当の見せ所がやってきます。

山車と言うのは、4つの巨大な木製の車輪がついた木製建造物で、車輪には

ステアリングもデフもない。曲がる時どうするかと言うと、前輪をえいやっと

10人係ほどで持ち上げ、後輪だけで回る。棒を前後に挿し込んで、回るように

促しながら、全体を回転させるわけ。これ大変なんです。角を90度回るだけでも

至難なのに、カラクリ披露を終わった山車は180度回らなければならない。

ここが各ご町内の見せ所、

結構若い子もいて(付近の大学生か)、顔真っ赤にして頑張ってた。

内2台はなんと、もう一周(つまり540度ターン。フィギュアならシングル

アクスル)してくれて大喝采。周りからは、

「もういいから」の声も(笑)。


 こうしてほぼ一時間のイベントは終了。人々は三々五々解散。

物足りない人+ご町内の人+特定山車のファン?はそれぞれの町内までついて

いくのでした。


 私はジテンコ(名古屋弁。前にも言ったが、女の子が言うと超可愛い。

男はケッタと言っとけ(笑))に乗って帰路へ、途中車道で、なんとあの

「ユキ」が、再開しているではありませんか。



                                    iPhone5


なんということでしょう(前閉まってたので廃業したかと思ってた)。

罪滅ぼしに、昼食はここで。

吉牛のつもりだったので、高めですが、久しぶりに元祖イタリアンスパを堪能。

これを食べて、

「パスタ本来のコシが全くない」とかブログでディスらないでね。

これはパスタではないので。


 老女将が居らず中年男女できりもりしていたので、勘定の時に

「しばらく休んでおられましたね?」と男の人に聞くと、

「はい、母が入院したので、女房に応援してもらってます」とのこと。

この息子さん(マスター)もそういえば前から居られた。女将の印象が

強すぎて忘れてた(漫画/アニメ”それでも街は廻ってる”のメイド長風)。

亡くなられたマスターのお父上が、若い頃イタリアに行って、その印象で

作り上げた純ナゴヤレシピ。ぜひ今後も守っていって欲しいです。

お母様もよくなってください。


 という訳で、ディープナゴヤにどっぷり浸かった休日でした。

山車は秋の名古屋まつりにも登場します。

ぜひ徳川宗春公ゆかりの、名古屋の町衆の力をご覧ください。

 
メールを送信