2009年4月

 

  題名「定例花見遊山」  


 

Sanyo W33SA


  あんまりいい写真がないと、どうも枚数で誤摩化すきらいがあります。

 上の写真も、神社と桜の対比が余りに見事だったので、バイクをわざわざ

 降りて、携帯で撮影したのですが、実際に見た感動の10%も表現でき

 ませんでした。

 ヨーロッパに旅行して写真を撮ると、どこを撮ってもまるで絵はがきや

 旅の本の様に美しい風景が撮れるそうですが、神社というのも、

 昔の人が

 「神の居ます所なので、気持ちのいい場所にしたい。」と念じて

 造り上げて来た空間なので、やはり整った美しさがあります。

 ただ、神社は光と陰を演出する空間なので、写真でそのしかけを

 再現するのは、かなり難しいのです。

    

 

Sanyo W33SA


  日本人にとって、桜は宗教だと思います。

 よく外国の日本紹介書などに、

 「富士山は日本古来から神聖な山で、人々は一生のうち一度は富士に

 登る事を願って来た。」などと、かなり大きな間違いをしている事が

 よくありますが(富士講というのはありますが、伊勢参り程

 ポピュラーとは言えないでしょう)、桜に対する思い入れは、外国の

 人にはあまり理解出来ないかもしれません。

 あちこちに桜を植えるのも、花が咲く、年に僅か一週間程の美の為に

 植える訳ですが、人々は満開の桜の花を見上げ、

 「今年も桜を見る事が出来た。」と思い、厳しい冬を終えられた事を

 感謝し、また厳しい夏に向かって行く覚悟が出来るというものです。

 「花見」と称して大騒ぎするのも、無意識のうちに春と言う

 「生命の季節」を体で表現してしまうのだと、思います。

 「花見に行った覚えのない年は危ない。」と言われるので、

 仕事の帰りにちょっとだけ鶴舞公園を覗いてきました。

 この不景気、幸せな事ばかりではなかろうに、大騒ぎしている

 若者達を見ると、みんなやっぱり生きようとしているんだなあと

 思いました。


 

Sanyo W33SA


  次の休みの日、いよいよ散りそうな桜を見に、近くの河原に

 出かけました。やっぱり桜は見上げた空との際、花びらの白と

 青空の対比が美しいですね。

 ソメイヨシノはあまりに白過ぎて白骨を連想させると、昔は敬遠

 されたとも言われますが、

 「桜色」と言われる桜らしい花より、輪郭さえ確定出来ないほどの

 白い乱舞があたりまえになると、やっぱりこれが今の桜なんですね。

 「霞か雲か」という言葉は、ソメイヨシノのためにあるのでは

 ないかと思います。

 実生せず、接ぎ木によってのみ、日本全国に広がったソメイヨシノ。

 「この土地でも春に桜が見たい。」という執念が、この面倒な

 桜を東に西に、南に北に、拡げたのです。

  

 

Sanyo W33SA


  「花より団子」と申しますので、

 「ほっかほか亭」の筍御膳をはり込みました。

 花見団子で良かったかな?とも思いましたが、まあ年に一度の

 事ですから。


 来年も桜が見たいものです。


 
メールを送信