2015年3月


「偉大なる夫婦」



                                Pentax Super-Takumar 3,5/28


最近、全くテレビを見ませんでしたので、ブームに取り残されましたが、NHK朝ドラ

「まっさん」のおかげで、ウイスキーが流行しているそうです。特に私の若い頃に流行った、

「ハイボール」が流行しているそうで。

まあ実は私の世代でも、ハイボールが本当に流行したのは未成年の頃でしたので、真のハイボール世代とは

言えません。どちらかというと我々世代はコークハイですね。


さて、日本でウイスキーの二大メーカーと言えば、サントリーとニッカですが、そのどちらの創業にも、

一人の偉大な日本人の名前が刻まれています。それが

「まっさん」のモデルである、竹鶴政孝。

ウイスキーの最高峰であるスコッチウイスキーは、大英帝国のスコットランドの厳しい自然が育んだ、極めて

ドメスティックな蒸留酒です。

明治以後、日本でも洋酒が好まれるようになり、ウイスキーも輸入が盛んでした。

そこで日本の酒造メーカーは、モルト(原酒)を輸入し、適当にアルコールで薄め、カラメルで色と香りをつける

「なんちゃってウイスキー」を販売していました。

もともと日本の文化は、醸造酒の日本酒と、蒸留酒の焼酎を生み出し、いわゆる

「舌の肥えた酒飲み」が沢山いましたので、本場のスコッチウイスキーに比べ、国産ウイスキー(国産と

いうのも恥ずかしい)の余りの貧弱さに、

「なんとかしなくては」という思いがありました。


「赤玉ポートワイン」は、当時日本で大流行した超甘口のワインで、現在の赤玉(ポートワインを名乗ることは、

ポルトガル産を意味するので、現在はスイートワインと呼称)は純ワインですが、当時は輸入した赤ワインに

砂糖を添加したものだったそうです。

この赤玉で巨富を得たのが、壽屋の鳥井信治郎ですが、関西の酒造界は、特に国産ウイスキーに対する危機感を

持っていたようです。

そこで、壽屋の協力会社である摂津酒造に入社したばかりの竹鶴政孝を、本場のスコットランドに派遣することと

なりました。

竹鶴政孝は、今も有名な広島の竹鶴酒造の御曹司。家業を継ぐため、大阪工業専門学校(今でいう工業大学)の

醸造科に学びましたが、洋酒の生産に情熱をもち、摂津酒造に入社していました。

その知識と、英語が非常に堪能であることから、ウイスキー技術を学ぶため、白羽の矢を立てられたのです。


勇躍渡英した竹鶴は、彼の地の大学に学びますが、それは日本でも学べる知識でした。

そこで、大変苦労してスコッチの製造メーカーで働くことができ、最初は冷淡だった経営者や職人たちも、

本場の製造を寸分違わず持ち帰りたいという彼の意欲に感じ、門外不出だった製法を教えてくれるように

なりました。後に、当時を知る現地の人々は、

「一人の日本人が、紙とペンを使って完全にスコッチの製法を持ち帰った」と評し、竹鶴のウイスキー造りが、

本場に匹敵するものであることを認めています。


さらに彼はこの国で、生涯の伴侶と出会います。

スコットランドの名家の一つ、カウン家の令嬢リタ。

許嫁の青年士官の戦死により、傷心を抱えていたリタは、弟の柔道の教師のバイトをしていた東洋の青年の、

ウイスキー造りに掛ける情熱に、次第に心惹かれ、両家の反対を押し切って、遂に二人は婚約します。

この時竹鶴は、

「結婚してくれるなら、英国に永住してもいい」とまで言ったそうですが、リタは日本に渡ることを選びます。

その結果、世界でも認められる高品質のジャパニースウイスキーが誕生する事になったのです。

ありがとう、リタ!


日本に戻った竹鶴は、摂津酒造で働きますが、時は世界恐慌のあおりの大不況。

ついに国産モルトウイスキー製造の道は、摂津酒造では果たされなかったのです。

失意のうちに会社を去った竹鶴を支えたのは、リタでした。

日本に帰化したリタは、関西弁を流暢に使い、梅干しを漬ける主婦業の傍ら、英語教師、ピアノ教師として

竹鶴の浪人時代を支えたのです。


一方壽屋の鳥井信治郎は、本格的ウイスキー製造の夢捨てがたく、本場から著名な教授を招聘しようとしますが

断られてしまいます。その時教授が言ったのが、

「私が行かなくても、日本にはタケツルがいるではないですか」

こうして竹鶴は、鳥井信治郎は竹鶴政孝を迎えます。その後のサントリーとニッカの確執から、鳥井信治郎は

正当な評価を受けない事がありますが、この時鳥居が用意した給料は、本場の教授を雇うのと同額だった

(つまり破格の高給)と言いますので、関西財界人の懐の深さを感じます。

スコットランド高地に気候が似ている北海道での生産を主張する竹鶴に対し、出資者たちは、関西での生産を

望み、大阪と京都の中間にある丘陵地帯で、利休ゆかりの名水が湧く、山崎の地を日本最初のウイスキー工場に

選んだのです。


契約期間を終えた竹鶴は、サントリー(赤玉の燃える太陽と、鳥井の名を合成した造語)では、理想とする

ウイスキー造りに限界を感じ、自らの理想のウイスキーを実現するために、北海道に渡ります。

この辺りの事情から、ニッカ党の間では、

「ニッカこそ本物のウイスキー」と主張する向きもありますが、山崎での十数年で、竹鶴は多くの弟子とも

言える技術者を育て上げ、本格ウイスキー製造を山崎にしっかり植え付けているので、

サントリーウイスキーもまた竹鶴の子供達と言えるのです。


竹鶴が北海道の余市で立ち上げた会社は

「大日本果汁」

ウイスキーは醸造、蒸留してから樽詰めで数年以上の熟成を要し、最初の出荷まで、全く収入がありません。

そのため余市の名産であったリンゴ果汁のジュースを造り、その期間を凌ごうとしたそうで、そのためこの

社名になったそうです。

竹鶴はヨーロッパ伝統のアップルワインも製造し、

「まっさん」のブームに乗って、リタが愛したアップルワインとして、酒屋に並んでいます。



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赤玉並みの甘口ですが、かなり度数は強め。確かにリンゴ系の風味があります。私が買い求めたものは、

弘前工場謹製となっていました。リンゴの本場で作っているのですね。

調べるまで全く知らなかったのですが、この社名の略称

「日果(ニッカ)」がウイスキーのブランドとなり、後に社名になるわけです。


この偉大な先人の作り出したウイスキーを味わおうと思いましたが、私はあまり酒が強くなく、また貧乏でも

ありますので(涙)、小瓶を買うことにしました。

昔は、トリスやニッカの小瓶といえば、アル中のおっさんがポケットに忍ばせるという負のイメージが

ありましたが、まっさんのおかげで、ちょっと試してみたい方のためにコンビニにも何種かの18mL瓶が

置かれるようになりました。

ニッカ製品のうちで、現在の代表作とも言える二製品を求めました。

スクロールが面倒ですので、上と同じ写真を掲載します。




ニッカウイスキー 余市(700円)

ブラックニッカクリア(300円)


余市は、竹鶴がスコットランドから製法を持ち帰った、まさに魂のシングルモルトウイスキー。

サントリーが自社最高ウイスキーに”山崎”の名を冠しているのと同じ、ニッカのフラッグシップです。

モルトウイスキーは、ポットスチルという極めて単純、原始的な蒸留器(スライムみたいな形のやつね)を

用いたウイスキーで、一種類のモルトだけを出荷するシングルモルトは、よほど自信がないと売れないもの。

味わい、香りは強烈で、アルコール度も高いものです。

まあ名古屋人的に言えば、カクキューの純正な八丁味噌みたいなものですね。ものすごく高価で、塩分強い。

とにかく余市は、森の精気をいきなり胃袋にぶち込まれるような、凄い衝撃を感じるウイスキーです。

パワーを感じたいときに飲むことにしたいと思います。

お子ちゃま向けではありませんね(酒は全部ですが(笑))。


一方のブラックニッカクリアもかなりの意欲作。

竹鶴はスコッチの製法を日本に伝えた恩人ですが、ブレンダーとしても達人でした。味覚と嗅覚が群を

抜いていたと言われます。

ブレンデットウイスキーは、何種かのモルトウイスキー(大雑把に高地、海岸地方)を組み合わせ、

さらにグレンウイスキーと言われる、近代的な蒸留法で作られたベースを加えて作られます。

このグレンウイスキーはトウモロコシ等を原料としており、かなり純粋なアルコールに近いのですが、

カフェ式蒸留器と言われる特殊な装置のおかげで、独特の風味と味わいを持っています。

最近ニッカは、ブレンドを楽しむ人のために、このグレンウイスキー、さらにモルトと同じ大麦麦芽を

カフェ式蒸留器で蒸留した、カフェグレンウイスキーも販売しています。

この蒸留器は、竹鶴の長年の念願がついにかない、親会社となったアサヒビールの出資を得て、ついに

1963年日本で初めて導入されたもので、それまでの国産ウイスキーは、どんなに良質なモルトを作っても、

ベースは甲種焼酎のようなアルコールをブレンドしないといけなかったのです。

ブレンディドウイスキーは、カクキューで言えば、米味噌や調味料を加え、そのまま溶けば赤だしができる

「金カップ赤だし味噌」みたいなものですね。


ブラックニッカクリアは、終生ハイニッカを愛したと伝えられる竹鶴政孝の死後、

「ウイスキーの原料大麦麦芽はビート(泥炭)で燻すもの」という常識を根底から覆した、癖の少ない

ノンビートモルトを使用。すっきりした飲み味、爽やかな香りと深いコクを両立させた製品です。

「ニッカは竹鶴を超えて進む」という後輩たちの意気を感じる意欲作。

ウイスキーの独特の香りが苦手、という方にはオススメしたい仕上がりで、

「本当の意味でのジャパニースウイスキーとは、こういうことじゃなのかな?」と思いました。

私は日常飲みなら、こっちが好みですね。大瓶買うならこれかな?安いし(笑)。


余市が、たくましい武人なら、クリアは上品なお姫様、いや黒衣の貴婦人かな?

伝統のラベルにある、ヒゲ男(ウォルター・P・ローリー。有名なエリザベス王朝時代の冒険家とは別人で、

スコットランドの伝説的なブレンダー)は伊達ではありませんが、この嫋やかさ、凛々しさなら、むしろ

「リタ」の名を冠しても良かったのでは?と思います。肖像写真にある、帽子をかぶって、黒貂のショールを

羽織った、理知的な眼鏡美人。竹鶴リタさんの名を。

私は半端な食通知識のおかげで、ブレンディドウイスキーは普及品。というイメージを持っていましたが、

ブラックニッカクリアに出会って、ブレンデットウイスキーの奥の深さに触れた気がします。

「シングルモルトしか認めない」という日本人は多いですが、本場ではこれはコンテンツの良さを確かめる物で

本当のスコッチ飲みは、ブレンドした多彩な製品を、それも水割りで楽しむものらしいです。


機会があったら、自分好みのブレンドにも挑戦してみたいです。

試しにクリアと余市をブレンドしてみましたが、全然美味しくありませんでした。

まっさん、ごめん(汗)。


行きたい街が一つ増えました。

ウイスキーとワインの里。北海道余市郡余市町。

死ぬまでに”リタロード”を歩いてみたいと思います。

 
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