2013年9月 

 

「青い鳥逃げた」



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 相変わらずの貧乏暮らしですので、そうそう外食は出来ません。

それでも三度三度の食事は、たまには贅沢したくなるものです。

「母が女手一つで屋台を曳き、ラーメンを売って兄弟を育てる。

兄は母の仕事を継ぎ、母の味を発展させるため苦悩する。

一方弟は、子供のころ母が作ってくれた屋台のラーメンの味、再現に全力をあげ

行列の出来る店を作る、しかし思わぬ挫折。数年の雌伏の後、弟も再起」

みたいなストーリーを知ると、もう

無性に通いたくなる(おばちゃんの屋台は独身時代深夜に通うという、エルビス

的皮下脂肪層増大に貢献した(笑))。



※参考映像:本文の内容とは、特に関係ございません(笑)。       iPhone5


 まあ休みの日ぐらいは外食で贅沢してという気にはなりますが、流石に

「お茶する」だけに高額を費やす。という事はありません。

前にお話しした、東海市の台湾茶の名店「楡家(ほんじゃ)」が8月末で閉店した

とき、せいぜい年に1-2回程しか行ってなかったにも関わらず、非常な寂しさ

を感じました。


 中国茶専門店と言うのは、経営が困難な店舗だとは思います。

日本では、お茶に金を払う、という習慣がありません。

商店に行って縁に腰をおろすと、黙っていてもお茶が出て来ます。

学生時代、寮母さんの部屋に相談に行くと(一刻館の管理人のような方では

ありません(笑)60代の女性)、いつも、

「まあおぶうでも飲みなはれ」とお茶とお菓子を出してくれはりましたが

その和菓子の洗練。お茶の美味しさ、図々しくも我々は、お茶っ葉の値段を

聞きました。

「これは三条の一保堂で、100g3000円のお茶どすねん」

すげえなあ、京都人って。と驚嘆した記憶がありますが、日本茶はお金を

払って飲む物、という認識が一般的にはあまりありません。

せいぜい紅茶ですが、これもなかなか専門店がなりたちにくいのです。

ケーキセットで成り立っている状況。

唯一コーヒーだけは、お金を払って飲むもの、という習慣が定着しています。


 中国茶が脚光を浴びたのは、本当にごく最近の事。サントリーがペット

ボトル入りの烏龍茶を発売して以来のことです。そのせいで、ボトル飲料と

しては、お金を払って自販機で買うのが習慣化していますが、本格的な中国茶の

専門店は、なかなか採算がとれない様です。

もともと中国茶は、何度もお湯をさしてゆっくり楽しむもの。冷めない様に

急須も、おままごとセットの様に小さくいつもお湯を沸かして、その都度いれて

飲む。というスタイルです。

つまり、客の回転は滅茶苦茶悪い。

客単価を上げるため、点心を用意し飲茶スタイルにすると、常に蒸し器の前で

格闘せねばならず、店員が去る。

なかなか大変なのです。


 客の無理解、というのもテンションが下がる原因と思います。

某店の口コミを見ても、時々驚くべき無知な批判が見受けられ、やはり日本で

中国茶は、全く根付いていないなあ。と思わせます。

「台湾では年に数回新茶が採れるはずなのに、ここの店は古い茶葉をだす」

(中国茶には何年モノという熟成茶もある程で、新茶を尊ぶ習慣は少ない)

「茶葉の量が少なすぎ」(小さな急須で何回も湯をさすのが中国式。

25gで千円以上する茶葉を、そんなに使ったら、いったい幾らになるのか?)

等、トンチンカンな批判が踊っています


 勿論中国茶を飲む作法、いわゆる

「茶藝」の歴史は浅く、戦前の台湾で伊藤忠商事勤務の日本人が、日本の

煎茶道をベースに始めたもの。というのが定説です。

しかし古代から、

「茶経」というバイブルまで生み出した中国茶の伝統は、だてではありません。

茶葉の種類の豊富さ、味の変化は、まさにハマってもいいレベル。

私にとって、中国茶の原点となった楡家が閉めたのは、

「隠れ家を失った寂しさ」以上の衝撃があったのです。


 閉店間際の8月末に、楡家を最後に訪れたとき、厚かましくも、近隣の

中国茶専門店についてお聞きしました。


伏見科学館前の飲茶専門店(場所は知っています。外のメニューを見て、

一度も入っていません。ちょと高い)


日進市の丘の上の名店(オシャレなデートスポットらしい。お菓子系点心

とのセットが特徴。2000円位かかるらしい)


覚王山にある、名古屋で一番古い中国茶専門店。


の三店を紹介していただきました。

ネットで調べて、予算的には楡家とほぼ同じ価格帯(800円~1300円)の

三つ目の店に行く事にしました。


 覚王山日泰寺。

戦前、タイ王国から仏舎利※が贈られこれをお守りするために、日本の仏教界

が超党派で建設したのが、当時の名古屋の郊外、瀟洒な別荘地として知られた

現在の覚王山であった。いやこの地名自体山号である訳ですが、その名も

日泰寺。日本とタイの友好を意味する名です。


※仏舎利とは、お釈迦様のお骨の事。ゴータマ・シダールタ師の死後、

 弟子達が遺徳を偲んでお骨を分けたという仏教の広がりと共に、仏舎利は

 どんどん小さく分けられ、一般的にはお米粒位になった。

 ご飯の事をシャリと言うのは、ここから来ている。

 寺院で、仏舎利を奉るのが塔であり、五重の塔などは、一見建築物の様に

 見えるが、中に人間が居住する空間は全くなく、要は高い墓碑である。

 タイなどの小乗仏教では、由来を厳密に見る(仏陀何世の弟子とか)ので

 素性の正しい仏舎利が日本に渡来したのは、この時が初めてだった。

 そのために日泰寺が建立されたのである。


 名古屋人には縁日で馴染み深いこの寺院の参道には、昔からちょっと

オシャレな店が並んでいるので知られています。

有名な、紅茶とカレーの英國屋。

そして私が最も大好きな酒場、奥行きがほとんどなく、つまみの一つも

出ない、酒飲みのためのバー

「覚王山バー」

そんな店の中でも、一際目立たない、

もうお寺のすぐ側、路地を入った所にこの店はあります。


 KONISHIKIならつかえてしまう細い階段を登り、重い木のドアを開けると

まず茶葉の量り売りスペース。奥にテーブルがいくつか。

それだけの店です。

落ち着いた感じの女性が一人で接客していました。

お茶のいれかたは、ほぼ楡家と同じ。

この店の作法を見せてもらうため、最初の一煎を見せてもらったのですが、

ワゴンに乗せた竹の茶盤で入れてくれましたが、私達は陶製の椀状の茶船の

中で、お茶を入れる仕組みです。ここは中国茶が豊富ですが、選んだのは

台湾茶の黄金桂。楡家へのリスペクトでと言いたいところですが、800円と

値段がお手頃なのが本音(笑)。

聞香杯で一煎めの香りを頂く。

これが好き。

爽やかな台湾茶の特徴のでたお茶です。

楡家と違いお茶請けがないので、420円払って、杏仁豆腐の様なスイーツを

注文してもいいのですが、

私はお茶請けに水分の多いスイーツは好みませんの。

(安くあげたいのが本音(笑))。

今度くる時は、信忠閣あたりで中華菓子を購入し、こっそり食べる作戦は

どうかと思いますが、

どうかと思います(笑)。


 雰囲気最高。読書をするには、少し照明が暗いのですが、この街に良くあう

お店です。帰りに

「楡家さんが店を閉められたので、こちらに流れてきました」と言ったら、

大変驚いておられました。

事情はよくわからないけれど、中国茶専門店は、なかなか大変だと思います。

と言ったら、深く頷いておられました。

休日は満席になる人気店ですが、やはり客回転悪いんだろうなあ…。


 今後はお店でお茶を飲むより、この店で茶葉を買って、自宅で茶藝道に

励みたいと思います。

いつか行きたい台湾を夢見つつ。

 

 
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