2010年8月

 

  題名「南極ものがたり」 


                         SIGMA LENS 16.6mm/4.0


  別件で水族館に行き、館内で食事をしていると、窓から見慣れた

 「南極観測船ふじ」が見えました。

 ところが、少し離れた所に同じ様なオレンジ色の船体。

 「あれ?なんだ?」

 情報強者の同行者がすぐ検索してくれました。

 「南極観測船しらせと、掃海母艦うらが、イージス艦 こんごう だって。」

 ここで梨本さん譲りの(譲られた覚えも無いが(笑))ネタ拾い魂が

 沸々と湧き、炎天下長い橋をわたって見て来ました。

 

  朝日新聞みたいな旭日旗が立つ中、真っ白な制服の海上自衛官

 (さすがにデブはいない。ファイト一発なナイスガイばかり)に

 迎えられて見学。思えばこの3艦の選び方は絶妙と言えましょう。

 電通が絡んでるに違いない(ないか(笑))。


 「専守防衛」かどうか議論沸騰。ようやく導入された近海警備の要。

 情報戦能力と、高いミサイル戦闘能力(かつての戦艦を凌ぐ)を持つ、

 現在の海自の主戦力と言えるイージス艦の一期生。


 海外派兵の先駆け、ペルシャ湾機雷除去に活躍した掃海母艦。


 そして世界平和の象徴、

 「南極条約※」に関連づけされる最新鋭南極観測船。うまい!


 ※南極の平和利用を宣言した1959年の条約。冷戦当時にも関わらず、

  アメリカ、ロシア(ソ連)、中国など大国が加盟している。ただし

  私が子供の頃信じていた、「領土権の放棄」は実際には謳って

  おらず、手つかずの資源が眠る最後の宝庫と言える南極大陸の

  今後は楽観できない。


  南極観測船と言えば、我々の時代は、ふじより前の「宗谷※」が

 想い出深いです。

 「見渡す限り真っ白な南極海から、白組勝利を祈る。」が懐かしい

 紅白歌合戦(とんでもない視聴率の時代)の宮田輝アナウンサーの

 電報紹介は、大晦日の風物詩でした。そしてもちろん

 「南極物語」のタロ、ジロのエピソード。あれは宗谷が昭和基地の

 近くに行けない為、ヘリコプター輸送に頼らざるを得ず、止むなく

 犬たちを置いていった事に始まる話です。そういえば宗谷は、よく

 氷の中で立ち往生し、ソ連の

 「オビ号」に助けてもらってました。


 ※宗谷ほど数奇な運命を辿った船も珍しい。戦争前にまだ日本に

  宣戦布告していなかったソ連の発注で冬のオホーツク海で動ける

  商船として建造、進水。戦局が深まりソ連に引き渡しが不可能に

  なると日本海軍に特務艦として買い上げられ、ミッドウェー海戦、

  ガダルカナル撤退、トラック島急襲を奇跡的に切り抜け、戦後は

  灯台補給船として海上保安庁で活躍。その後砕氷能力を買われ、

  南極観測船に。70年に亘る生涯で1000人以上の人命を救った。


  エリート職業軍人とは違う、徴兵された普通のオジサンが、

  なんとか生き残って、戦後も一生懸命働いて(涙)。

  って感じの船な訳である。

  「(またオビ号に助けて貰って)宗谷だらしねえなあ。」

  と思っていた、子供時代の自分が恥ずかしい。


  各国に匹敵する砕氷艦を、という目標で作られたのが、現在

 名古屋港に眠る、

 「ふじ」です。このオレンジ色の船体はナゴヤっ子の自慢ですが、

 まあ一回見学すればいいかな?という施設です(ゴメン)。つぎの

 「しらせ」は、日本人として初めて南極探検をした

 「白瀬中尉」からとった名前で、なんか突然軍人の名前になった事が

 少年時代の私には違和感アリアリでした。米海軍の第七艦隊の旗艦も

 「空母エンタープライズ」から

 「空母カールビンソン」に変わり、船舶に偉人・英雄の名を付ける

 センスは万国の海軍共通らしいです。


  今回、横須賀海自所属の軍艦が名古屋港にやって来て、勇姿を

 見せたのですが、私実は南極観測船が、ふじの時代から海自所属で

 あることは知りませんでした。

 まあ考えて見れば、国家的プロジェクトですから、当たり前かも

 知れませんが、ふじの時代に既に海上自衛隊を海外に派遣していた

 のは、当時の世情から言えば意外な感じがします。こういう平和目的

 ならいい、というコンセンサスが与野党にもあったのでしょうか。


  しらせ、うらがの後、もうバリバリの軍艦と言っていい

 「イージス艦こんごう」を見学しましたが、軍艦と言うピリピリした

 感じはあまりなく、船内見学についても、艦橋までOKという太っ腹。

 一期生の金剛には、もう海外のスパイに隠す物はないのでしょうか?

 見学路を離れ、こそこそ写真を撮って(撮影OK)、自衛官に捕まり

 「あなた、スパイですね?」

 「いや違う。俺はスパイじゃない。」

 「スパイはみんなそう言うんです。」というのだめの会話を再現した

 かったのですが、もちろんにこやかな自衛官の皆さんのマジな顔は

 見たくないので(笑)やりませんでした。でも、

 「あーそんなとこ撮っちゃダメですよー。」位ですみそうな雰囲気。


  実際に見学してみて判ったのは、軍艦と言えど今は冷房完備な事。

 そして冷房無くても海の上は(港でも)涼しい事です。

 戦争やらないなら、安定した公務員として近海警備任務はいいかな

 と思いました。ただ艦船勤務は、狭い階段(と言うより梯子)を

 駆け上がり、駆け下りる毎日でしょうから、体力は使いそう。

 食堂の張り紙、

 「必要摂取カロリー一日3600kcal」というのが、任務のきつさを

 もの語っておりました(ダイエッターには夢の様な数字(笑))。


  実際の食堂を休憩所として、お茶のサービスをしていましたので、

 慣れない階段上り下りでくたびれたおじさんは、休憩。

 さすがに豪華ではありませんが、場末の大衆食堂よりは綺麗。

 ちなみに館内には乗組員の趣味なのか、パフィからサブちゃんまで

 歌謡曲がBGMとして流れていました。

 アニメ系はなかったような(笑)。


  最後に一番印象深い話を。

 しらせを降りる時、水族館食堂の窓からみた時からの疑問があり、

 「案内」の腕章を付けた同年代の自衛官(流石にお腹は出てない)に

 聞きました。

 「ふじが船体番号5001。このしらせが5003ですよね。5002っていう

 船もあったんですか?」

 「実はこのしらせは二代目なんですよ。初代しらせが5002です。引退

  した初代は宗谷やふじのような引き取り先がなく、解体される所を

  ある会社に1500万で買い取られ、現役を続ける事になったんです。」

 心からほっとした様に、もしかして初代に乗っていたかもしれない

 この自衛官は静かに語りました。


  「1500万円って…。ベンツ1台分じゃん。哀れな。というか船体の

 大きさから言えば、スクラップの値段だよな。」

 と思うのは地上の我々の感想で、船乗りには解体じゃなきゃ値段は

 関係なく嬉しいのかもしれません。

 聞いてみるとその会社は、南極方面の通信インフラ施設のために

 砕氷船を捜していたらしく、そんな最先端の仕事につく初代の成功を

 祈るとともに、すでに南極にも、そういう経済の波が押し寄せて来て

 いる時代だと言う事を感じたのでした。

 
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