1998年広路八時間耐久レース

 第5章…8月7日

この日、10時に会場に行きました
高校生2名が手伝ってくれました
と、いうより、彼らが中心にやってくれました
いつもここのレースの時に手伝ってくれる 二人なのですが
本当に助かります
彼らがいないとこの八耐はできなかったでしょう
前日夜、Jr.サーキットを持って行ったときに
会場の椅子を全て片づけて、サーキットが敷けるようにしていましたので
そのぶん施設はスムースに行きました

歌舞伎さんから届いたコース図どおりに敷いている内に
私のあたまの中にちょっと悪戯心が湧いてしまいした
「ここのバンク、もう少し高くしたいなあ・・・」
後でよく考えると、この時高校生達は複雑だったと思います
このバンクを高くすると、電池の消耗が大きくなり、自分たちのチームに
不利になることは明らかだったのです
彼らのチームだけ、充電器が青タイプ、つまり700mAニカド電池に
適したものしか無かったのです

←これ

本当に申し訳ないコースを作らせちゃったなあ・・・と思いますが
でも、やっぱりこの高いバンクはおもしろかった(すまん)
コースを作りながら、スロープを中心としたコースは、スロープで立ち上がり
蛇行しながら、スロープで降りる部分が龍の様だったので
「歌舞伎ドラゴン」

ストレート2枚分でもちあげた、高いバンクを持つコースは
Jr.サーキットの箱を6個全部使い切った支えが、岩山の様にそびえていて
「ロッキーサンダーマウンテン」
と名付けることにしました

後はテープでコースの継ぎ目を補強です
私はこれ用に「カートンテープ」という宅配便の箱に使うテープを使います
ガムテープ(布)やクラフトテープ(紙)に比べると、薄くてはがしやすい
ので、助かります
歌舞伎ドラゴンの支えには父の作品である30本以上の支柱で、過去最高の
強度が得られました
この会場の床はでこぼこがあるので、高さの微調整出来る支柱は
本当に便利でした
このテープ止めは本当にうんざりするほど大変ですが、8時間保たせる
ためには、いい加減なことは出来ません
運良く、このころ、ろばーとさんが来てくれて、手が4人になりました
午後、私は仕事に行かねばならず、高校生とろばーとさんを残して
出かけました
夕方帰って来て、程なくHISHIさんが到着、そして東京からはるばる
松原きょーじゅと3Eさんが到着して、みんなでラーメンの夕食後
HISHIさん、きょーじゅ、私の3人はこの会場に泊まり込む事にしました
夜お風呂に出かけたとき、ちょうどSolさんが会場に来られて
電気が消えていたので帰られたそうです。われわれの携帯も風呂屋の
ロッカーの中・・・ということで、お気の毒でした
風呂屋の帰りに携帯に電話してきた、MAKISEさん、くまさん、矢尾さん
は、その点ラッキーで、深夜の走行テスト+おしゃべりで楽しい時を
過ごしました
きょーじゅはベルーシ家の客用布団、私はこの日のために買った寝袋で
快適に眠りましたが、HISHIさんは「俺は布団とか無い方がよく眠れるの」
と言って木の床に直接寝ていました
なんか、「少年アシベ」に出てくる体育の先生みたいな人だ・・・
翌日の朝日の中、教会の床に眠るHISHIさんを見て
なんだか「フランダースの犬」のラストシーンを思い出しました
もちろんパトラッシュです(^_^)