ささやか写真館


                           2001年4月

              題名「啓蟄」
       

  SUPERKOMURA for ZENZA-BRONICA S2 45mm/4.5

    久しぶりに、外に出た鈴牛は、厳しい寒さの続く毎日の中で、
  「休日のような……。」
   暖かな刻を楽しんでいた。
   コートに身を包み、キャメラを入れた鞄を肩から提げても、
   その下からは、ジャージのズボンが覗いていた。

  「桃の節句」
   その言葉にふさわしい日和であったが、
   しかしながら、桃は咲いていない。
   明治の世になり、江戸の文化は次第に失われて行ったが、
   中でも、旧暦から新暦への改定により、
   暦の持つ本来の意味は殺されてしまったと言ってよい。
  「梅は咲いたか、桜はまだかいな」
   と小唄にあるが、桃と桜の開花時期は近い。
   鈴牛の訪れた、この庭園の名物である
  「しだれ梅」
   も、まだ堅いつぼみはほころぶ気配も無い今日なのだ。
  「御維新は季節まで狂わせてしまった……。」
   そのことである。
   しだれ梅とやらを、キャメラに収めようと、病み上がりの身を運んだ
   鈴牛は、舌打ちして梅林を下った。
   梅が咲かぬのに、気も早く園内には
  「しだれ梅まつり」
   の幟が立ち、模擬店の様な天幕が並んでいた。

    その一軒で、焼き芋を焼いていた。
  「親爺、この焼き芋はうまいかい?」
  「これをお食べに?これは自慢のまずい焼き芋でございますよう」
  「それは、いい。その小さいのを一つ、な」
  「へい、180圓でございます。」
  「ふむ、なるほど…。これはまずい。」
  「そうでございましょうとも。」
   この、芋一つが、鈴牛の昼餉であった。
   芝生では幼児を遊ばせる声が聞こえる11時の事である。
 
   温室を、鈴牛は嫌いであった。
   人工的な空気の中でしか生きられず、外の寒さに凍える
   自分を連想するからなのであろう。
   温室には立ち入らず、その外に植えられ、霜雪に耐えて
   花びらをふるわせる、なんの変哲もない三色菫の植え込みの前で
   鈴牛は立ち止まった。
   彼は跪き、愛用のキャメラを、
  「菫の株の一つを植え込むように……。」
   土の上に置いた。

    啓蟄は、暦では2月初めである。
   初めて暖かい春めいてきた日に、土中に眠る蟲たちが、思い切って
   顔を出す日である。
   何があの、大雪にもなるほどの新暦2月初めであるものか。
   1と月遅れの今日の様な日にこそ
  「啓蟄なんぞと唐土では、いいますがねえ。蟲どもも、
         この陽気で浮かれ出て来るんでござんしょう。」
   と、江戸の人々も挨拶を交わした事であろう。
   ファインダに浮かぶ、左右逆像の影は、土中から顔を出した蟲たちが
   久々に見た菫と、温室、そして春の霞もまだ邪魔をしない空だった。

   鈴牛は、思いをめぐらした。
  「蟲にも俺にも、まだ新しい春も夏も秋もあるのだ……。」
                         (池波正太郎先生風に)

|ベルーシホームページに戻る|
|ささやか写真館に戻る|