ささやか写真館


  2008年8月


               題名「うれしいような」
  
 
                                    Sanyo W33SA


  息子が原付き免許をとって、バイトでためた金でホンダスーパーカブを買いました。
 私が始めてバイクを買ったのは大学1年の時でしたが、親に出して貰いましたので、
 立派なものです。
 私には子供にバイクを買う甲斐性がありませんので、家からはフルフェイスのヘルメットを
 贈りました。怪我をしないか心配なのですが、
 やっぱり、息子がバイクに乗るようになったのは嬉しいです。
 私の父は自転車にモーターを付けた、当時「バタバタ」と言われた乗り物で、毎日職場に
 通っていました。
 父は器用だったので自分で自転車にエンジンを付けた様です。
 日本軍の通信機用発電機のガソリンエンジンを流用したものから、原付=原動機付自転車は
 戦後登場したのです。
 始めこの自転車補助エンジンは、ペダル部分に取り付けられたため、オイルでズボンや
 スカートがよごれやすい事が不評でした。
 本田宗一郎はエンジンを後輪に配する事でこの弱点を克服し、全国の自転車店を通じて
 大いに売れ、後の本田技研の元になりました。
 そして、この後世界中で今も走り回っている名車「スーパーカブ」が登場しました。

  父のはどれだったか覚えていません。私が父のバイクに乗った唯一の思い出は、
 台風が来た次の朝、父のバイクに乗せられて幼稚園に行ったら、窓ガラスがほとんど
 割れていて、中は水浸し。幼稚園は休みで、またバイクで家に帰った事。
 帰ったらアパートになんと消防車が来ていて、大変興奮した事。
 そのころ自動車はまだ珍しく、消防車は男の子の憧れでした。その消防車は、アパートの
 地下室を完全に埋めていた!水を排水するために来たのでした。
 名古屋の比較的高台の千種区でそうだったのですから、港区や南区は悲惨な事に
 なっておりました。
 後に「伊勢湾台風」と名付けられた未曾有の巨大台風の思い出です。
 息子のバイクを見ると、父を思い出します。
 私は「事故を起こさないように」と願いながらも、何か嬉しい気持ちになります。
 軟弱なスクーター(今一番売れている安価な「ホンダトゥディ」は中国生産)でなく、
 実直無比なカブを息子が選んだ事も、少し誇らしいです。
 もっともそのおかげで、中古価格で倍ぐらいのお金がかかってしまいましたが。
 (ガソリン高騰で、もともと燃費が良く壊れないので中古価格が高いカブは、ますます
  高くなってしまいました。)

  ちょっと乗せて貰いましたが、私のじゃじゃ馬なカブカスタム90に比べて、とても
 乗りやすく、上り坂以外では結構元気です。原付は最高速度30Km/hですが、
 気がつくとあっという間に50Km/hをオーバーしてしまいます。
 思えば原付で25Km/hオーバーの速度違反で捕まったのが、私が自動二輪をとった
 きっかけですが、息子は今のところ、30Km/h安全運転だそうです。
 私とは性格が違う様です。
 
 
   
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