ささやか写真館




               題名「海の日」

 
                                 SIGMA 55-200mm/4-5.6

  私の記憶が正しければ、私は昔からベタな行動が大嫌いで、高校生の頃はどんな席でも、
 米軍放出のアーミージャケットで通したりしてました。でも反戦少年でしたので、
 軍関係のワッペン等は付けず、自分でフェルトを切り抜いて、高校の時の部活動(放送部)の
 略称「SBS」というロゴを作って縫いつけておりました。こういう所はまめですね。
 これは高校の頭文字と、「ブロードキャスティングシステム」の略で、まあ静岡放送と同じですね。
 大学に行くと、当時はアーミールック大流行で、同じ様な格好の奴らがうろうろしていましたが、
 SBSは珍しく、よく尋ねられました。
 「君は信頼できるから明かすが、これは"スチューデント ブラック ソルジャー"という反政府団体の
 マークだよ。」などとはったりをかましておりましたが、フェルトの色、ピンクだった(笑)。
 今ならさしずめ
 「世界をばかすか盛り上げる涼宮ハルヒの団」とかいいそうですね。

  ともかく、ベタな事に逆らいたい若い頃にくらべ、最近は、なすがままというか、キュウリがパパ
 というか、もうベタ大好き。ファーストフードの新メニューなどはすぐ食べて見るし。
 と言うわけで、「海の日」だったので海に行って来ました。
 この休みは、明治天皇が初めて船で東北巡業、じゃななかった巡行からお戻りになり、横浜に無事
 ご到着になった記念日だそうで、良く時代劇で浪人や町人が船に乗って海を旅する場面がありますが、
 あれは宮←→桑名渡しなどを除けば、まずあり得ない光景だそうです。江戸時代の人で、泳げる人は
 大変少なく、これはスイミングスクールも、学校の25mプールもない時代ですから当然ですが、
 水夫ですら泳げる人は少なかったそうです。
 「板子一枚下は地獄。」と言うように、船で外海を航行することは命がけで、今で言えば、
 チャレンジャー号事故の後、最初に再開されたスペースシャトルに乗り組む位の勇気がありました。
 明治天皇が乗られた船は当時の最新式洋船でしたが、現在のレベルで言えば小さなもので、大変海が
 荒れ、船は揺れたらしく、側近らがげーげーやっている中、平然として居られたそうで、この若い
 君主に対して、例えば幕府びいきの江戸の棟梁なんかが、
 「若ぇのに・・・てぇしたお人だぜ。薩長は大ぇ嫌いだが、こういうお方なら、御輿に担いでも
 いいんじゃねえのかぃ?」
 という感じになったきっかけの事件だった訳ですね。

  さてこの記念日に私がしたのは、ただ海水浴場に行ったという、ベタ中のベタな行為でした。
 「また水着の女の子を鑑賞に行ったのだろう?」って?人聞きの悪いこといわんで下さい!
 この日はあんまり可愛い子がいず(お前は(笑))、結構濃い男女が多かったデス。
 例えば、ホストと客のキャバ嬢の団体。ボール遊びして落とすと一気のみするなよ(笑)。
 男は全体に身体に絵のある方が多く(若向きのワンポイントから伝統江戸文化まで)、女性の
 水着も露出度は高いのですが、どっちかと言えば泳ぐより踊り系の感じ。
 唯一普通な感じの女の子の一団に、さかんにナンパ?を決行している男子がおりました。

  この海岸はビーチもありますが、対岸にはウインドサーフィンのベース。ここの男子達は
 自前で綺麗な女子を連れておりますな。もてるんだ。
 普通のサーファーはもっと半島の先の方でして、あとマリンスポーツと言えば、お金持ちの
 モータークルーザーと沖をゆったり進むヨット。あとはブンブン走り回る水上バイクですね。
 多分このナンパ男子は水上バイクの方かと思います。ビーチの近くに係留出来ますし、ライフ
 ジャケットを付けてましたし。以下勝手に再現会話(笑)。

 「どっからきたの?」
 「地元(めんどくさいので、みんな大抵こういう)。」
 「ふーん、ねえキミタチ水上バイク乗らない?」
 「えー?でもー。」
 「いいじゃん。面白いヨー。」
 「でも、すみちゃんに悪いし。」
 「え?すみちゃんって、どの子?(みんな指さす。一番可愛い子)」
 「すみちゃん、水上バイク乗ろうよ。嫌いなの。」
 「うん。」
 「なんでだよー。乗ったらぜってえ面白いって。すみちゃんおいでよ。」
 「とうちゃんが、水上バイクは網切るで、漁協の敵だといっとったで。」
 「失礼しやしたぁ〜。」

 本当に地元の漁師の子だったという、ありがちな話(いや、まずない(笑))。
   
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