ささやか写真館



  2005年1月
                題名「火わたり」
  
  

                                       Summicron 50/2.0
  
   小学校1年生の時、今の場所に引っ越した。今年開催される愛知万博で、最も集客力のあるのが
  「五月とメイの家」になりそうだが(国家的プロジェクトなのに、ジブリに勝てないなさけない万博)。
  トトロに出てくるままの田園に囲まれた村だった。
  転校していきなり「おみゃあんちはなんでもちまきやらせんのだ?」という外国語の様な質問を受けた。
  これはしばらくして判ったのだが、新築するとき建前(屋根が完成)がすむと、家の持ち主や棟梁が
  高い梁に登って上から餅や菓子、硬貨などを播くのである。集まった人々は争って拾い、大きな餅や
  50円玉などを拾って歓声を上げる。大人ももちろんだが、子供達には大変なイベントで、私の家が
  出来るときには、今か今かと毎日楽しみにして偵察に来ていたらしいのである。
  村の風習を知らなかったため、私は危うくいじめられるところだった。後で同級生を家に招待し、
  母の手作りの菓子をふるまった事で事なきを得たが。
  万事田舎の村だった。日曜には「若い衆」は名鉄バスに乗って「名古屋へ」行くのが娯楽だった。
  ちなみにここは私が生まれた頃名古屋市に編入。市バスが初めて村に開通したのが小学校3年の時。
  この時は小旗を振って歓迎した物でした。「名古屋」は普通の発音ではない。「渋谷」と同じ
  イントネーションである。
  子供達の楽しみは、お祭りが一番である。獅子舞が出来るからである。これは子供達だけで町内の
  獅子頭を持ち出し、氏神に奉納するのだが、神社での事より、途中の家々に立ち寄って、口上を
  述べると、その家の人が用意した菓子をくれる。それが嬉しいのである。
  隣の町には、「弘法さん」という行事があり、これも家をまわって菓子を貰うのだが、はるばる
  行った事もある。
  こんな村の子供達の生活の中で、一種畏敬をもって語られていた行事が、「火わたり」である。
  「○○は5年生なのに火わたりをした。」というのが、勇気の象徴の様に言われていた。
  去年の1月に紹介したが、この村の中に秋葉山の分院がある。年に一度山伏と言われる修験者が
  燃えさかる火を素足で渡る行の事で、下火になったあとで一般の人も渡るという話だった。
  小学生で渡るのは、大変勇気のいる事で、尊敬されたのである。私は臆病なので見に行こうとも
  思わなかった。一度家の前を通った山伏の一団が、大変恐ろしかった事もあった。
  先日町内の掲示板に「火わたり」の予告を見て、これはトラウマを払拭するいい機会かと思った。
  M3に400のフィルムを仕込んで、仕事帰りに秋葉山に立ち寄った。
  時間が遅く、行は終わっていたが、人々が次々と渡っていた。来年の無病息災を祈願して、渡って
  行く。子供も結構多い。
  「こういうものだったのか…。」
  自分の心の中にあった黒いイメージが、真冬の火の中でゆっくり溶けていった。
  
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