キョンシーSの
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  ★019 2作品の共通点「スチームボーイ」「王の帰還」


 また映画館に足を運んでしまった「スチームボーイ」と、映画館に飛んでいきたい衝動を
 抑えに抑えて、ビデオレンタルで見た(DVDは全部貸し出し中で、ビデオしかなかった)
 「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」。この2作品の共通点は
 E=mc2 (エネルギーは質量と光の速度の積の二乗に等しい。だったっけ?)
 である。アインシュタインが理論化したエネルギーの公式。ここから導き出されたものは
 わずかな物質からおそろしいエネルギーを得られることに、人類が気づいてしまった瞬間
 だった。

 「スチームボーイ」は、この公式が全くなかったころの19世紀初頭。それどころか、
 内燃機関も充分に研究されておらず、蒸気機関が人類が入手できた最強の動力機関だった
 ころに、科学者が夢想した巨大エネルギー。これが実現された分岐型パラレルワールドを
 描いている。「無限運動動力」などといううさんくさいものでなく、かといって現実には
 あり得ない(事がこっちの分岐の世界では証明され、否定されてしまった)「超高圧縮
 安定型巨大エネルギー蓄積型蒸気動力源」というべきエネルギー源なのだ。(ちなみに
 「トリビアの泉」によると「ワープ航法」もあり得ないことが、最近証明されてしまった
 ので「スターウォーズ」や「スタートレック」「宇宙戦艦ヤマト」なども違う分岐型
 パラレルワールドに行ってしまった。)
 あまり詳しい理屈は語られないのだが、とにかく恐ろしい高圧縮スチームを長時間に
 渡って供給できる安定的な小型エネルギーユニット、それがスチームボールだ。
 なんかアラスカかなんかの、地下洞窟で発見された、非常に安定した液体を使うらしい。
 アメリカ大財閥の後押しで主人公の祖父と父が研究し、祖父は人類を飢餓から救う
 革命的なエネルギーとして、ロンドン万博で巨大施設の動力源がたった3つのスチーム
 ボールで動くことを誇示しようとした。父はこのエネルギーを超強力兵器に使うことを
 アメリカ財閥と共にはかり、祖父の巨大施設を武装化し始めた。危険を感じた祖父は
 1個のスチームボールを盗み出し、イギリスの孫に設計図と共に送る。かつての
 研究仲間スチーブンソン(蒸気機関の父、実在の人物)に託す。
 ところがスチーブンソンはイギリス軍の依頼を受け巨大な蒸気兵器を研究中で、
 その動力源としてスチームボールは喉から手が出るほど欲しい、驚天動地の発明だった。
 主人公の孫は、このことに気が付き、祖父を捜す。こうして祖父と父の戦いが始まった。
 全編のほとんどがカーチェイス(といっても蒸気機関)や戦闘シーン、アクションの
 連続で、そこだけに観衆の目が向かっている。でもスチームボールとは何かという
 根元の問いを大友監督は、最初から提示している。
 戦後間もない頃。貧乏だったけど平和な、明るい未来を日本人が信じていた頃、
 手塚治虫の「鉄腕アトム」は胸に原子力エンジンを動力として用いた21世紀のロボット
 だった。実現が困難とされ、研究競争が続けられていた二足歩行は、ホンダがあっさり
 実現した。感情を持った人工頭脳は、スーパーコンピュータレベルなら成果を上げよう
 としている。後は小型化と熟成。出来ないことではない。しかしアトム誕生の年が
 来ても、人間型ロボット用どころか携帯型の原子力エンジンは登場しない。一番小さい
 のが、原潜か?軍事衛星もあるな。それはどうしても出てしまう放射能をどう処理するか
 解決されていない。海に捨ててしまうとか、宇宙空間にとか捨てるところがあれば、
 小型化は楽だろう。
 「お茶の水博士〜。ケン一君やシブガキが死んじゃったヨー。」「実はワシの髪の毛も
 ごそごそぬけてしまってのお」アトムと友達になるのは命がけ、というより必ず死を
 招く。「アトム」の世界では、実現でき、自動車にも使われる小型原子力機関が、
 「実現出来ないみたい」という分岐型パラレルワールドになりそうである。
 「鉄腕アトム」=「アストロボーイ」と「スチームボーイ」
 どちらも実現できなかった究極のエネルギー。
 そして、スチームボールのあまりの威力に、祖父は巨大施設をテームズ川に運び
 破壊しようとする。それに対し父は答える「無駄だ。そういうエネルギーが存在する
 事が判ってしまった以上、世界中の科学者が研究を始めるだろう。これを軍事にまず
 使用しようと思わない国などない。」アインシュタインが提唱し、弟子達が実現に
 努力した、「夢の原子力エネルギー」の最初のささやかな第1作には、リトルボーイ
 第2作にはファットマンという可愛い名前がつけられた。リトルボーイは1945年
 8月6日、広島市に、ファットマンは8月9日、長崎市に投下された。
 アインシュタインは死ぬまで自分の研究を悔やんだという。彼のひらめきが無ければ
 原子力は存在しなかった。天才アインシュタイン以外には誰も思いつけなかった理論を
 発表したとたん、その恐ろしい兵器としての未来を、何千人という科学者が予見して
 各国の研究が始まった。ナチスドイツもかなりいいところまで行っていたらしい。
 日本でも理論研究は始まっていた。
 大友監督の言いたいことはそこだろう。この作品のエンドロールに主人公達のその後
 が数枚の絵で描かれる。「スチームボーイ2」の設定画らしいが、明らかに軍事利用が
 始まっているように見え、大戦も始まってしまうようだ。
 この映画は、はっきりした科学の軍事利用への拒否メッセージである。
 作品には9年間と24億円の巨費をかけ、2D、手書きアニメーションの最後の大作と
 して完成した。主人公の少年の声に、リターナーで「天才子役」から脱皮した鈴木杏、
 アメリカ大財閥のお嬢さんに、日本で一番エルフに似た女優、小西真奈美。ちょっと
 意外なキャスティングに、話題作りのような印象を持ち、「主役級はプロの声優を
 使って欲しい」という声もあったが、もともと映画女優はアフレコには慣れているはず
 わたしなんぞは「ラピュタ」のパズーがペーターでのび太の方が嫌だが。
 この作品に秘められたメッセージをしっかり理解していれば、分岐型パラレルワールド
 を描いた作品としての、金を湯水の様に使った作品の質を楽しめばいい。(と言っても
 ニュージーランドで行われた「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」のワールド
 プレミアム試写パーティーの総予算が30億だと。日本政府がアニメにもっと援助
 しないと、日本の基幹輸出産業の一つが滅びるぞ)  
 ソニーのアイボやホンダのアシモへの、ペンタゴンの猛烈な共同研究ラブコールを
 「日本企業は平和研究しかしない」と断ったそうだが、当然アメリカでバラバラに
 されて研究されたに違いない。ロボット兵の戦争は近い。
 ある大学が筋肉の衰えた人々の為の、介護型モビルスーツの研究をしていたところ
 ペンタゴンから誘いがかかり、現状の何万倍と使える研究費にうっとりしていたら、
 学生から「先生、軍事利用は止めましょうよ。」と言われて、はっと我に返った。
 という笑えない話がある。完全に「老人Z」の世界ではないか。

 一方「ロード・オブ・ザ・リング」は超古代の話だが、魔法の力を封じ込めはめた者に
 大きな力を与える指輪を作ることを、人々は思いついた。こういう魔法アイテムの話は
 多いが、エルフ、人間、ドワーフのそれぞれが魔法の指輪を作った。ところが、この
 発想自体を利用した者がいた。それら全てのものをコントロールできる、「一つの指輪」
 を作ればいいと気づいたのである。それを実現できる闇の冥王サウロンが自分が持つ力の
 ほとんどをこの指輪に封じ込め、ドワーフの王達を殺して指輪を奪い、9人の人間の
 指輪王を自分のコントロールに置いた。これが指輪の幽鬼である。エルフの3つの指輪
 だけが、エルフの持つ結界の能力のため、サウロンの影響を逃れた。
 英雄的な人間・エルフ・ドワーフ連合の活躍により、サウロンは倒された。しかし人間の
 欲望は深く、サウロンの指から切り取られた指輪は処分されることなく、姿を消した。
 サウロンは実体を失ったが、指輪が地上から消滅しなかったため、暗然たる勢力を
 持続した。この指輪を所持する者は大きな力を得るが、やがてその力の虜になり、
 サウロンに引き寄せられる。ガンダルフたち白の魔法使いの使う魔法は、それほど大きく
 無いが、世界をサウロンの影響力から救うために戦っていた。ところが、その頭領の
 サルマンが指輪を得ようとして、サウロンに心を奪われてしまう。人間は弱体化し、
 ドワーフとエルフはそれぞれの領域に閉じこもり、サウロンに操られた、幽鬼、ゴブリン
 トロル、サルマン達の力は徐々に強まっていった。ところがひょんな事から伝説を信じた
 ドワーフの一行が、ホビット庄のあるホビットを強制的に仲間として冒険の旅に出る。
 「ホビットは忍びの名人」という伝説だが、このホビットのビルボが、偶然指輪を発見し
 この指輪をはめた者は姿を消すことが出来るため、本当に大活躍してドワーフを救う。
 これが「ホビットの冒険=行きて帰りし物語」である。
 さて指輪はホビット庄に持ち帰られるが、じきにサウロンの知るところとなる。ビルボは
 甥のフロドに指輪を託し、ガンダルフはフロドが、指輪を作ったモルドールの火山口に
 指輪を投げ入れることしか、世界を救う方法が無いことを告げる。
 こうして旅の仲間が結成される。
 この映画作品の感想を沢山のインターネットサイトで読むことが出来た。原作を熟読して
 いる人々は概ねこの作品に満足し、省略されている部分もあるが、まず見事な映像化で
 あるとする意見が多い。それに対して、原作を読んでいない人には、作品の素晴らしさを
 評価しつつも、当然の疑問をいくつか投げている。まあ、原作を読んで、としか言えない
 が、一つだけ大切な疑問に答えたい。
 「どうして、ガンダルフ又はアラルゴンが自分で指輪を運ばないのか?」これは
 「どうして孫悟空は金斗雲で天竺に経文を取りに行かないか?」と似ているが、答は違う
 (ちなみに孫悟空の方はよく解らない)。
 ガンダルフが指輪を持てば、ガンダルフは第二のサルマンになる。アラルゴンがあるいは
 ボロミアが持てば、彼らは最終的には幽鬼になる。世界で最も小さく、取るに足らないと
 思われていたホビット族だけが、比較的その影響を受けないのである。ビルボが指輪を
 手に入れる前、指輪を隠し持っていたのはゴラム(ゴクリ)だが、かれはもとスメアゴル
 というホビットだった。しかしこの仕事は恐るべき自分との戦いである。指輪所持者は
 絶対にそれを人に渡したくないのである。指輪を所持してもサウロンに負けない力を持つ
 唯一の存在といえる、エルフの女王ガラドリエルのは、自分が所持して世界を支配したい
 (そのかわり冷酷な氷の女王として)という誘惑と必死で戦って、ようやくフロドに
 指輪を返す。中つ国の第一人者でさえこうである。フロドは、この指輪を消滅させるしか
 世界をすくう方法がないと知りながら、次第に指輪を手放したくなくなる。指輪所持者は
 こうなってしまう。ゴラムは死によって救われ、、ビルボとフロドは指輪喪失の空虚を
 癒すためエルフと共に海の向こうに旅立つ。映画では妻子と幸せな家庭を持ってハッピー
 エンドのサムワイズも、原作では晩年海の向こうに旅立つ。大蜘蛛にフロドが捕まった時、
 一時的に指輪を預かったからである。このように指輪を所持することは、絶対に所持者を
 変えずにはいられない。それを承知で、ガンダルフ達はフロドにわずかな望みを託したの
 である。思えばひどい話だが、だからこそ、映画のミナス・ティリスでの、あの感動の
 ラストが生まれる。原作者のJRRトールキンは「この作品は現実の戦争(第二次世界
 大戦)とは無関係だ」と生前強調していたが、この指輪は狭義では核兵器。もう少し
 広く考えれば、近代兵力を背景にした侵略主義と考えるのが妥当である。ベトナム戦争
 当時、脱走米兵を支援した人々が反戦喫茶を「ホビット」と名付けた事は記憶に新しいが、
 小さい者にしか出来ない戦いがある。

 この2作品は「スティームボーイ」が科学が軍事に転用されてしまう、人間の性を鋭く
 批判した性悪説の作品であるのに対して、「ロード・オブ・ザ・リング」はその危険を
 認めながら(サウロンは滅んだが、それを生み出した悪の力は残ったと原作者は書く)、
 人間の英知で悲惨な殺し合いを避ける方法は、必ずある。小さなホビットでもなしとげた
 のだから。と性善説を呼びかけている。
 アメリカのイラク戦争は、嫌でもサウロンとの戦いを思い出させる。
 日本にやってきた「アラルゴン」は、「石油のための血は必要ない」と、書かれた
 Tシャツを記者会見で着ていた。ハリウッドは基本的に民主党びいきと言われるが、
 それよりやはり、この名作の映画化に長い時間関わってきた事が、この俳優をこういう
 行動に出させたのだと思う。E=mc2を人類は知ってしまった。つまり「スチームボール」
 「力の指輪」を人類は手にしてしまった。我々はどんな分岐未来を持つのだろうか?