キョンシーSの
     ピンポンダッシュ!


      ★012 「MATRIX 3部作」に素直に脱帽


 正直、第1作を見て思った事は、「ずるい」だった。それは、監督のウォシャウスキー兄弟が、
 異常なほどのアニメオタクで、憧れのアニメの世界を実写で表現しようとした、という前評判の
 為だった。宮崎駿の「もののけ姫」でアシタカが弓矢で野武士の首を切り落とすシーンが問題になり、
 子供が見ることの出来ない上映になってしまった事でも判るように、アメリカでは残虐なシーンや
 暴力的な表現は、映画にすることが難しくなって来ている。架空の世界マトリックスでは
 銃の乱射も、派手なカンフーアクションもやりたい放題ってわけだ。「ま、トロンの焼き直し?」
 て感じのストーリー、つまりコンピュータの中に入り込んで戦い、帰ってきたら安全な現実の世界、
 というきわめて都合のいいストーリーに思えた。香港の本場スタッフを招いてのカンフーアクション
 も確かに凄いけど、ジャッキーチェンばりの凄いトレーニングは無く、主人公の神経や筋肉に
 古今東西の格闘術を直接インプットするというお手軽ぶり。ま、金はかかっていて出来はいいが
 やっぱドラゴンボールの実写版を複雑にしただけ?みたいな印象があった。
 
  それで、第2作は映画館はもとよりDVDがレンタルになっても見なかったんだが、「これは傑作」
 と言う自称映画評論家のHPがあって、たまたまTUTAYAの会員証更新時の「旧作1本無料」という
 事態があったので、借りて見たわけである。確かに第二作は(第一作で伏線はあったにしろ)
 まるで違う展開になっている。最初からいきなり主人公達の現実世界がピンチである。ありゃ!
 主人公ネオは第1作から「救世主か?」と言われてきて、主人公達の星(この辺て惑星間の話かも
 良くわかんないのね。まあ実はそれはどうでもいい。とにかく現実世界の方ね)が「ザイオン」と
 呼ばれていて、これはシオン、つまり旧約聖書のイスラエル人の約束の地だから、もうキリスト教の
 思想が強く出ている訳なんだが、後から書く様にネオはイエスではない。
 とにかく彼ら人間の現実世界は機械文明(キャシャーンよりは銀河鉄道999に影響を受けている
 感じの機械の星)から、ものすごい攻撃を受けている。頼みの宇宙船団も壊滅(この辺はわざと
 スターウォーズに勝負せずに描かない)、ネオがマトリックスの世界で逆転のヒントをつかまねば
 ならない事になっていく。
  ネオが出会うのは一癖も二癖もあるプログラム達。謎のフランス人ギャング、日本人の鍵師、
 そしてシステム全体の構築者(マトリックスの世界では神と言える存在)と、対立する予言者。
 これら全てがマトリックス世界ではネオ達と同じ人間として登場する。第1作でネオを襲う排除
 プログラム、エージェントスミスも健在だ。ちょっと脱線するが、スミスは敵でありながら、
 第一作から、ネオのキアヌ・リーブスを除けばモーフィアスよりトリニティより異彩を放っていた。
 スミスというと我々の世代はどうしても「宇宙家族ロビンソン」のドクター・スミスを思い出すが
 まあ欧米では鈴木とか佐藤みたいな平凡な名だ。エージェントスミスは、だから記号のような
 下っ端の名前なのだが、これがすごい。ネオと差しの勝負を繰り広げる、フランス人の手下などとも
 多少のアクションはあるのだが、ネオが戦う相手はとにかくスミス。サングラスでスーツ姿のスミス
 (あの長いタイピン欲しくなった)とやはりサングラスとくるぶしまであるチャイナコートのネオ
 (服の色は違うけどドラゴンボールのタオパイパイのイメージを感じた)の死闘。もう凄い凄い
 アクションの連続。ジャッキーチェンのカンフー映画(酔拳とか)に出てくる道場破りの悪投
 そのままの表情でネオと戦い続けるスミスは凄い演技力と体力(ネオとスミスの格闘シーンのかなり
 の部分はスタントなしである)と存在感を持つ。スミスを演じた俳優を調べて納得がいった。
 スミス役ヒューゴ・ウィービングは「ロード・オブ・ザ・リング」のエルフの王、エルロンドも
 演じているのだ。原作の「指輪物語」を読んでいる人は、登場するエルフの中で、なぜ映画では
 女王ガラドリエルの君より、エルロンドの殿の方が出番が多いのか(原作では、女王ガラドリエルが
 フロドから一つの指輪を奪い、世界を征服する美しき冷酷な女王として君臨したいという誘惑と戦う、
 壮絶なシーンがあるが、映画では省略されている)よくわからなかった。エルロンドの役どころは
 娘アルウェン(リブ・タイラー最高!あ、くどいか(笑))がエルフの不老不死を捨て、人間の
 アラルゴンに嫁ぎそうでおろおろするお父さん。というのは原作も映画も同じだが、もう圧倒的に
 人間離れした存在感を映画では持っていた。ヒューゴ・ウィービングはただものではない。

  はでなカーアクションまで見せる第2作(石川五エ門の斬鉄剣も出てくるぜ!)に比べると
 第3作はよりヒロイック。第2作の最後に明らかになったネオの正体に、ネオ自身逆らって、
 トリニティとの愛を貫こうとするが、「アトム大使」の様に、「さらば宇宙戦艦ヤマト」の様に
 ネオは使命を撰ぶ。それは救世主イエスの様に世界を救うための気高い行動には違いないが、
 ネオの場合それとても、プログラムの一つの選択肢である。ネオの行動は人間の世界「ザイオン」を
 救うが、敵である機械だけの文明も救う。ネオの苦悩は詳細には描かれず、ネオの行動が必要で
 予定されたプログラムの最良のものである事をネオ自身は悟る。そこには、感動的な決意(例えば
 アルマゲドンのような)は無く、ネオは確信を持って、確立は低いが、自分を最も効果的に使える
 選択肢を撰ぶ。全然泣けないのに感動的である。「自分を犠牲にして世界を救う」事を、映画史上
 最もクールに演じたヒーローである。これ以上はネタばらしが過ぎるので書かないが、完全に監督の
 言いたいことが伝わった、素晴らしい結末だった。ちなみに、第2作を激賞したHPの映画評論家は、
 第3作は第2作よりパワーが落ちたし、結末もなんとなく尻すぼみで納得が行かないというが、
 私には第3作が映画としての完成度が一番高く、結末もこれしかないという純度の高いものだと
 感じられた。見かけの派手さだけを追えば、第2作の方が上という考えもできるが。
 第2作まで不思議な存在感を醸し出していた予言者役の名優が亡くなった事で、脚本の書き換えを
 余儀なくされたそうだが、そのせいでの登場なのか、サティという不思議な少女が登場し、第2作
 までの理詰めなストーリー展開にはない謎の効果を生んだ。

  監督のウォシャウスキー兄弟は全3部作で描きたかった世界観を、現在出来る全ての魔法を使って
 再現した。
 ○アニメーション技術を実写に限りなく近づけたCG(バットマンで一部使われた技術)
 ○人間の動きを完全にCG化出来るモーションCG(「ロード・オブ・ザ・リング」でも多用された。
  「スターウォーズ エピソード I & II」でも)
 ○そして円谷英二監督が映画技法に取り入れ、「スターウォーズ3部作」で完成の域に達した、
  ミニチュアを使用した特撮。
 ○香港のカンフー映画で磨かれ、さらに本作で成熟したワイヤーアクション(跳ぶだけでなく回転
  できるようになった。演技者はゲロゲロだったらしいが)。
 ○さらにハリウッドお得意の大規模なセットやロケでの派手な爆発やカーチェイス。
 映画というエンターテインメントの分野での、最高の傑作となった。また、この映画のために作り
 出された技術も多く、今後の映画界にも貢献した作品となった。

  ウォシャウスキー兄弟は第2・3作で、彼らに大きな影響を与えている全ての要素に深い感謝の
 オマージュを捧げている。私が読みとっただけでも、
 ○謎のフランス人、予言者、鍵屋の登場場面=ツインピークスの幻想シーン。
 ○機械の文明に支配されぬようコンピュータ制御の要素を減らしたザイオン=「天空の城ラピュタ」
  の人間文明。
 ○狭い補助ルートを疾走し宇宙船がザイオン救出に向かうシーン=スターウォーズ3部作の第一作の
  デス・スター破壊のシーン。
 ○ネオがスミスに対して飛鳥の様なカンフーの型をとり、片手指だけでスミスを挑発する=もちろん
  ブルース・リーの極めのポーズ。
 ○スミスとの最後の大雨の中での死闘=黒澤の「七人の侍」。
 ○機械兵器を迎え撃つキャプテンミフネのマシンガンロボット=ガンダムなどの日本ロボットアニメ。
 ○ザイオンやネオの宇宙船を襲う機械の兵器=ナウシカに出てくる腐海の昆虫たち。
 ○そして、ラストのシーンでの美しい朝焼けは、旧約聖書ノアの箱舟物語の「約束の虹」である。
  (この朝焼けを「あなたが作ったのね。ネオもきっと喜んでるわ。」と予言者はサティに言う。
   サティは最後まで解き明かされない謎の少女である。)
 ○もう一つ。ネオは死地に赴き、マトリックスに入って究極の敵を倒すが、傷ついたネオを支える
  機械文明の触手は、王蟲のそれに酷似している。つまりナウシカのラストシーンである。
 (まだまだきっとあるだろう、さがして欲しい。)
 これらはパクリとは言わない。監督の深い敬意を感じる。言ってみればオタク文化の精華である。

  最後に、ものすごい蛇足を一つ。人間社会と機械の文明の共通の敵は、簡単に言えばコンピュータ
 ウィルスである(あーあ言っちゃった)。機械の文明はマイクロソフト王国、人間社会ザイオンは
 劣勢なアップルを彷彿とさせる。マトリクスは共有出来るネットワークやUNIXのような基本ソース。
 とするとネオはジョブスか?これは単に予言者の原語「オラクル」から来た、私の勝手な妄想だ。