キョンシーSの
ピンポンダッシュ!
★009 さあ泣け(GW記念、長編)
最近、ドラマがおかしいぞと思う事がある。偶然かも知れないが、やたらに病気や障害に関係するテーマが多いのだ。
No.8で紹介したフジ系の月9「愛し君へ」は、難病と言われるベーチェット病で、視力を奪われる(だろう)
カメラマンとその恋人(まだこの時点ではなって無いけど)の小児科研修医に小児病棟を絡ませている。
テレビ朝日系の木曜9時「電池が切れるまで」は小児病棟内に置かれた学校の教師と医師達、子供達のドラマ。
TBS系の日曜9時「オレンジデイズ」は、突然聴力を奪われた天才バイオリニストの物語。
そして日テレ系金曜9時「仔犬のワルツ」は盲目の少女が実は天才ピアニストで、お家騒動に巻き込まれる(そういう
事だよね)話。
日テレはもう一つ、水曜日10時に「光とともに・・・自閉症児を抱えて」というドラマも有るようだ。
NHKは不定期にドキュメンタリーにそういったテーマの秀作を流す。
この流れに乗っていないのは、テレビ東京系だけで、出演者自身が病気になりそうで心配な「元祖デブや」を別に
すれば、健康路線を走っている。
マスコミが一斉にある方向へ走るとき、その裏に権力のコントロールが有るのではないか、と疑う人がいる。
彼の論理によると、テレビの確信犯的行動は
A.大衆をある方向へ導こうとする。
B.大衆の目ををそちらの方に向けておいて、後ろで悪い事をする。
という事だ。日本のテレビ局の内、最も政府よりなのは、ナベツネの日テレで、A技が得意。次がフジでB技系、
テレ朝は勿論政府から最も遠く、逆の意味でA技系。TBSはどうなんだろう。やけに政府よりだったり、批判的
だったり、だからといってNHKのような中立厳守でもない。まあ良くも悪くもジャーナリスティックなのだろう。
テレ東はマイペース。昭和天皇が崩御されようが、阪神淡路大震災が起ころうが、ニューヨーク貿易センタービルが
爆破されようが、イラク戦争に自衛隊が行こうが、定時放送を淡々と流し続ける、テレビ局の鏡である。
あんまり見てないけど「現代版日本永代蔵」みたいな「ガイヤの夜明け」という経済ドキュメンタリーは、ある意味
後ろ向きな「プロジェクトX」より健全だろう。
さて、各マスコミは何を考えて、この春のドラマ編成をしたのか?
Aだとすると、「世の中にはこんなに苦しんでいる人がいるのだから、健康保険料を払いましょう。」か?
Bだとすると「これだけ感動的ストーリーを与えておけば、人々は泣く事に慣れ、本当に泣いたり怒ったりしなくては
ならないこと(起る可能性のある、イラクのXデー)の時煙幕になる」?
うーん、上手く説明できないな。この現象は何故起こったのだろう?
私だけの推察は、今年1月に放送されたNHK11時代ドラマの「ちょっと待って!神様」が、お涙ちょうだい路線しか
できないと思われていた、「渡鬼のピン子」に、恐ろしく高レベルな演技をさせてしまい、宮崎あおいの同年代女優
No.1の演技を誘発した。キャストもスタッフものりにのった傑作となってしまい、視涙率No.1を確定。6月には
DVD発売も決定し、ますます大きな反響を呼ぶことだろう。
ま、悪いけど「冬のソナタ」なんかは、どこで泣いていいかわからんわ。若いときの田中裕子似のヒロインの表情演技
が乏しい(せりふは吹き替えなので、ハングルのせりふが美味いかどうかは判らないが)、ユン様ってそんないいか?
ドラマのテーマが古く、もう10年以上前に、岩井俊二が「LoveLetter」で古くさいラブストーリー(恋人が死んだ
主人公の)を陳腐にならないよう、筋を練りに練って作り、アジアの若手監督に大きな影響を与えた、その路線を
しっかり踏襲しながら、岩井の嫌った古くさいストーリーに陥っている。(その点では「猟奇的な彼女」の方が同じ
路線でも良くできていた。日本人は冒頭のヒロインのゲロでひくが)
あれでヒットするなら、「ちょっと待って!」が吹き替えか字幕で(やっぱり字幕でしょう)海外に出たときの反響は
想像できる。映画化の話はどうか?いっそのことハリウッドでピン子の役をウーピーゴールドバーグがやって、
全米に涙の雨を降らすことの可能な台本だ。親しい者を喪った人が見て、辛い気持ちを抱かせるよりは、なにか
安らかな癒しを与えてくれた、大傑作だった。
一般視聴率はともかく、業界であのドラマを見ていた人は多かったらしい。「あああ、若手アイドル・芸人の機嫌
とって、つまらんバラエティーやるのやだ。視聴者を泣かせてぇー。」というテンションが爆発したのではないか。
障害者を描けば、当然障害者を家族に持つ視聴者に大きな動揺を与える。ある程度抑えた表現をしても
「家族の苦労はそんなんじゃない!」という反響は、当然来る。だからスポンサーも及び腰だ。
ブレークスルーは「アルジャーノンに花束を」だろう。知恵遅れの青年を主人公にしたこの作品は、名作と呼ばれた
原作の当時から、知恵遅れの子を持つ親から、激しい非難を浴びてきた。主人公はある脳手術をして、天才になり、
やがてその効果の持続性は薄れ、もとの状態に戻る。
「そんなこと出来たらやりたいわよ。」あまりにもむごい設定で、やはり当事者には冷静に読めなかったらしい。
テレビ版ではそのことを考慮し、知恵遅れの子を持つ親の全国的連絡組織とも連携して、ある劇的な仕掛けをする。
原作にはないこのシーンは、こうである。少し賢くなった時期の主人公が、自分を捨てて再婚した母に会いに行く。
金持ちの家で、美しい健常者の妹もいる。主人公に向かって、母は叫ぶ。
「私はあなたを捨てたかった。捨てて自由になりたかった。あなたと過ごすこれからの長く苦しい日々が、私には
耐えられなかった。」母の愛など微塵もない鬼のような形相で石田あゆみが怪演する。
主人公が悲しい気持ちで去った後、母は泣き崩れる。
「本当はそんなこと言っちゃいけない。この子を愛さなければ・・・」と日頃普通の子育て以上の労苦を強いられて
いる母親達は、この瞬間に石田あゆみに対する憎悪ではなく、
「私が心の奥で鍵を閉めて、誰にも悟られなかった言葉を石田さんが言ってくれた。」という悲しい癒され方をした。
という共感の反響があったそうである。
きちっと作れば、タブーは乗り越えられる。という事である。
「電池が切れるまで」は正統派である。財前直美という、かっこいいおばさんを演じられるヒロイン教師に陣内孝則が
熱血医師役。ニヒルな男性教師やプロフェッショナルな看護士。もと白血病患者で快復しボランティアで学級を訪れる
吉岡美穂と、いいメンバーをそろえている。小児病棟は死との問題が隣り合わせなので、子役の演技も大変上手い。
一番成功しそうなドラマである。実際にお子さんを亡くした家族には辛いドラマだろうが。
「愛し君へ」は病気の進行という時間軸に、心寄せていく恋の行方。約束されていた一流カメラマンの仕事も実家が
大金持ちの婚約者も去り、この男が最後に撮るのが、小児病棟の子供達。こういう恋人役をやらせると天下一品な
菅野美穂が、相変わらずのいい演技をしている。不幸な恋はやっぱり、菅野か深津絵理。
日テレの「仔犬のワルツ」は盲目のヒロイン(阿部なつみの主題歌の音程が「天才的な音感」の少女役にあっていない
のが笑わせる)が、最高のピアニストを目指す。音大を経営している大財閥の子供達に、家長から次の後継者に誰を
指名するかに当たって、幾多の試験を通過し最も音感・技術の優れたピアニストを連れてきた者に後を嗣がせるという、
ま、古今東西に多い3人の王子と嫁取りの話の焼き換えですね。マンガっぽくて、あってもいい作品(昔の大映ドラマの
ようなのり)とは、思いますが、ヒロインは盲目であることは、全然ハンディキャップでなく個性みたいになっている。
(もちろん最初は盲目ゆえの苦労を綿々と演じたが)「目が見えないのに凄い!」と視聴者を感心させないようになって
いる。だからこの物語は「エントリーした子供の一人が秋葉原から連れてきたのは、体重110Kgをオーバーオールに包み
肩から鞄をかけ、大きな縁なし眼鏡はふけで汚れた長髪のおたく青年。しかし実は彼は天才的ピアニストだった。」
でも別に支障無い。日テレ開局うん周年記念番組だそうだが、この内容のないストーリー、障害者への軽い扱い方。
やっぱり野島伸司だ、間違いない。「プライド」のおおこけもキムタク人気である程度の数字はかせいだし。今回は、
「原案」だぜ。脚本は弟子?にかかせて(おかげでプライドよりせりふはまとも)、もう順風満帆だね、野島先生。
「ドラマ界のつんく」と呼んであげましょう。
もう一つのドラマはきっと反動で良心的な作品になっているはずだから、まだ見てないけど見てみよう。(10時という
遅いスタートがこの局の場合、日本人全員が巨人ファンだと思っているばかオーナーのせいで、平気で遅れるのが困る。
こっちは朝早いんだぞ。あと自閉症は病気だからちょっと違うけど、「新撰組バッシング」でおそらく引きこもり状態の
夫(三谷幸喜)の面倒みてる小林聡美が出ているのも気になる。(ちなみに、回を重ねるごとに良くなってきたぞ、
新撰組。土方が近藤はピュアなままで、自分が全ての悪役をかってでる、という路線を貫く決心をしたので、香取君の
大根にマヨネーズかけて喰ってるような演技もOKだ。それにしても、藤原竜也の沖田は今までの新撰組映画・ドラマ
史上最高ではないか?本物は「労咳を持つ薄幸の美剣士」ではなかったらしい。冗談ばかり言う明るい、しかし恐ろしい
剣法を使う「平目顔の」達人だったらしい。労咳になってからは「身毒丸」で鍛えた演技が生きてくるぞきっと。)
最後に「オレンジデイズ」はピアニストの母に育てられ、優れた才能でまさに羽ばたこうとしていた天才バイオリニスト
が、突然耳が聞こえなくなるという運命に弄ばれる。柴崎コウ熱演!目力の強い彼女が流暢な手話で自分の意志を伝える
強い女として描かれているが、週刊誌「女性自身」によると、第一回放送を見て、「なぜ途中から耳が聞こえなくなった
主人公が、喋らないで手話で会話しているのか?」という問いが関係者から殺到したそうである。
確かに耳が聞こえなくても話すことは可能である。これは番組が進むにつれて明らかになるのだが、彼女は音を失った
事でPTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまっていた。喋る声が突拍子もなく大きかったり、音が外れていたり
して、周囲が奇異の目で見ることが、彼女の声を奪った。このドラマは、よい仲間、恋人を得てPTSDから帰還する人の
物語になるのだろう。彼女が喋るとき、真の回復があるのではないか?
耳が聞こえない事でバイオリンを弾けるか?という問いは「無理」という結論になったようだ。一人で弾いていれば、
何度も練習していた曲で、完全な手癖が付いていれば、感心さすことが出来るだろう。
しかしオーケストラの一員としては弾く音のハーモニー次第で自分の音を微妙に上げたり下げたりしなくてはならない。
だからバイオリニストは、ビブラートのように細かく指を動かして音を調節する。フレットのあるギターには出来ない
芸当である。コーラスだって、みんなの声を聞きながら微妙に上下させてハモらせている。
主人公はバイオリンを諦め、ピアノに挑戦中。どういう結果が出るのだろうか?ピアノは12音階を等分した
「平均律」を使っている。この楽器の特徴は、どんな調子の曲でも同じように弾けるが、どんな調子の曲も完全には
ハモらない。だから、よいピアニストは調によってハモに濁りを与える指はわざと抜いて弾くはずである。その曲の
譜面で和音のどの音符が汚いかは、理論的に判るので、主人公はその音に印を付けて、奏法を覚えてしまえば良い。
理論的には出来そうだが、本能的に それが聞き分け出来る天才ピアニストに比べるとハンデは否めないだろう。
目の不自由なカメラマンは実際にいる。アシスタントに徹底的に言葉で風景を描写させて、頭の中で情景を組み立てて
構図を決め、シャッターを切るのだろう。AF時代だから成立する技だと思う。作品を見たが、いい写真だった。
耳の聞こえない音楽家は居るのだろうか?ベートーベンは聴力を失ってからも作曲もしたし、ピアノを弾いたそうだが、
確かに「組み立てる」という芸術分野でというなら、作曲は可能だろう。「オレンジデイズ」の主人公のこの先が
気になる所だ。
と、いうところで、今回のこのドラマ傾向は、「感動の涙を視聴者に流させ、生きる力を与えたい。」という所から来た
のだろうが、上述のBから行けば、「酷い時代だけど、この人達の苦労を思えば生きてるだけまし。」と思わせ、
一時自分の立場を忘れさせる、ということか?
全部9時台というのは、9時に家に帰っている人をターゲットにしているわけで(しかも10時過ぎには寝ないと次の
朝が早い人ね)、バリバリのエリートサラリーマンではなく、OL、主婦、会社が業績悪く定時で帰らされるサラリーマン
時給の派遣・パート・フリーター。昔で言えば農工商の人々に「上を見るな下見て暮らせ。」と思わせる、って事か?
(ちょっと考え過ぎかも知れないが)。
この分だと次のドラマのテーマは、近松ばりの「心中物」かも?
サラ金各社は提供せんだろうな(そういえば、怖そうだけど実は弱い心優しい人、という曙がサラ金キャラになったね。
巧みな戦略だ。チワワを飼ってるおじさんは元金(愛犬)を失って、前より貧しいアパートに暮らし泣き暮らしている。
ある日元金が戻ってきたのでよく見ると、後ろに利子が無数に・・という恐怖のおちだ。もう制作者側の確信犯だな)。