キョンシーSの
     ピンポンダッシュ!


      ★008 SonyのCMと森山直太朗の新曲

  ま、どうでもいいのだけれど、最近私らの昔親しんできた曲が次々とカバーされ、うれしいんだか
 頭に来るんだか、ぐるぐるしてくる環境であります。ちょっと前に出された、何とかというモー娘を
 リストラされた年増の二人が、曲の出された時代背景などおかまいましに、カラオケ感覚で歌い上げた
 アルバムは、怒りを通り越して、無視するしかありませんでしたが(ま、ずんくの取り巻きなど、
 あの程度の知能だわ)、幸い全く売れず安心しました。目の前であやつらに、早川義男の
 「サルビアの花」など斉唱されたら、首を絞めてしまうかもしれない。
  最近では、高田渡の「コーヒーブルース」を若い女の子が歌っていて、これは面白い。なるほど
 京都のイノダコーヒーの、最初からミルクと砂糖が入っているコーヒーを、今の子はこう飲むだらう
 と、感じさせるいい仕上がりで、こういうカバーは歓迎だ。
  最近SonyのDVDハンディカムのCMをご存じだろうか?可愛い赤ちゃんが出てくるCMだ。その
 BGMが、なんとスティービーワンダーの「Happy Birthday」のカバーなのだ。
 一瞬頭が沸騰したね。前々からテレビのバラエティ番組などで、「○○さんは今日が誕生日でーす。」
 などと言うとき、バースデーケーキが出され、この曲がBGMで流されるたび、非常に不快な気持ちに
 なったものである。有名すぎて説明するのも面倒だが、この曲はスティービーワンダーが特別な人に
 捧げた曲である。公民権運動の父、マルティン・ルーサー・キングJr.。この人の誕生日を公民権の
 日として、アメリカの国民の祝日にする運動に、深く共感したスティービーワンダーは、この曲を
 彼に捧げた。このポップな曲調の名曲を、私は正座して聞かずにはおられない。
 その日の視聴率さえ良ければよいバカ番組のディレクターならともかく、世界企業のSonyがその事を
 知らずに選曲したとは、とても思えない。SonyのHPに行った。私の怒りはあらかた静まった。
 カバーを歌っているのはCHARAだったからだ。この辺はえこひいきに近いが、CHARAは日本で
 珍しい、自分の歌い方を持っているシンガーと評価していたので、彼女を起用したこと自体が、原曲に
 ある程度の敬意をはらって居ることがわかったからだ。(あややだったら爆発する) 
  それでも、Sonyのカスタマーにメールを送った。HPには「スティービーワンダーの名曲」として
 しか紹介していなかったので、この曲を使った真意を正したのである。ま、逃げ道は作ってあげた。
 CMの中止を訴える意志は無いこと。新しい生命の誕生を祝う意味での真面目な選曲であろう事。
 ただ、どこかで、マルティン・ルーサー・キングJr.の偉業に敬意を払って欲しいと、書いた。
 返事は翌日来た。ただいま制作部門に問い合わせ中であると。そしてその翌日、Sonyからの正式な
 返事が来た。この辺りの誠実な対応は、さすがに一流企業だなあと思った。
 決してバラエティ番組的な選曲ではなく、「新しく生まれて来る生命と、新しい製品誕生への祝福」
 を込めた選曲」との事だった。HPに何らかの形で、この名曲の生まれた背景を掲載することも、
 提案したが、これは「ファミリーな雰囲気なHP」であることから、難しいそうな。
 新しい製品誕生への祝福なんて、所詮商売じゃん。バラエティー番組と、何か違うか?と思ったが
 ぐっとこらえて、「この曲に関わった以上、何かの形で世界的企業としての責任を果たして欲しい。」
 と返事を結んだ。
  ところで、月9がなかなかいい。さだまさしの原作も映画化された作品もよい評価だった(そうだ
 ごめん、見てない)ま、「プライド」の後なら、なんでもいいと思えるかも。このへんは一度、別に
 書きましょう。盲目のピアニスト VS. 全聾のバイオリニスト!というすごいドラマ戦争も。
  とりあえず、今度の月9の主題歌である森山直太朗の何とかという長い題名の曲である。
 「ほう、高田渡か?京都派のフォークソングか?フォーククルセダーズにもよく似た曲があった。
 いや、なぎら健壱の迷曲「悲惨な戦い」にも似て居るぞ。
 要はアメリカンフォークソングに、きちっとはまったメロディーラインである。
 歌詞は独自のものだが、やはり60年代のフォークソングや岡林信康、吉田拓郎などの影響を感じる
 メッセージ性の強い内容だ。でも加川良の「教訓i」などに比べると、甘いけど。真面目で好感が
 もてる。しかし、これだけ正攻法で、メロディーを奏でられると、ちょっと照れる。
 自分の作曲でなく「曲はだれだれさんのカバー」と言った方が肩の力が抜けてて良かったと思う。
 どうせ、みんな似てるんだから。盗作とはいわんがね。
 歌詞の内容と言い、力の入りすぎた歌い方と言い、森山直太朗、ちょっと道をはずしている。
 柳生心陰流でいうと、「活人剣」ではなく「殺人剣」になっている感じである。
 重いメッセージをスティービーワンダーのように軽やかに、ボブディランのように力を抜いて。
 せめて小田和正ぐらいの静謐さで。良子ママも何か言ってやりなさいって。