キョンシーSの
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      ★007 村主章枝以外の誰のスケートを見ても感動しない

  
  2003年グランプリファイナルは、大方の予想を裏切って、サーシャ・コーエンを抑えて、村主章枝が
 初優勝した。私はこの人のファンで、いつも1位になれないことに、なにかフィギュアスケートという
 ものに、「やっぱなー」という感じを抱き続けてきたものだ。伊藤みどりが3回転半ジャンプを決めて
 以来、女子フィギュアは技術優先で走り続けて来た感がある。もう、何本ジャンプを決めるか、どれだけ
 はでな演技を決めるかに、全てがかかって居るように思う。そのためには、練習で鍛え抜かれた、まるで
 ティラノサウルスのような強靱な下肢の力で、氷を削り、氷片を播き散らして舞い上がる。渡部絵美や
 伊藤みどりは日本人の典型的な体型の上に、この下肢の筋肉を身につけた、テクノロボットだった。
 私は伊藤みどりが、どうしてヒラヒラのついたウェアを着て演技するのか、不思議でしかたなかった。
 だれも跳べない3回転半を跳べるなら、どうして全身銀色のタイツをまとってYMOで踊らなかったのか。
 彼女が技術点で最高点を取りながら、芸術点で負けるのを見るたび、彼女が本当に、テクノロボットに
 なりきれば、絶対に勝てるのに・・・、と思ったものだった。
  現在のクァン、コーエン、あるいはロシア勢の女子選手は、素晴らしく伸びた手足を持ち優雅に舞う。
 世界選手権優勝の荒川選手も素晴らしいスタイルである。日本選手の体型も良くなったものだ。世界に
 たった独りの4回転カットビ女子高生も、昔の日本女子の体型ではない。しかし、彼女たちの滑りは全て
 氷を削り、氷を征服して廻り、跳ぶ。男子選手の滑りに近づいている。その筋肉の戦いの上に、一見
 「優雅な」振り付けが被さる。陸上100m女子選手のバレエを見ているような、と言ったら言い過ぎか。
 ま、新体操に対する器械体操床運動と言ったところか・・・。とにかく「よく鍛えて跳びました。」
 という評価しかない。これだと、技術のある方が勝ちになる。日本選手が今大活躍しているのは、
 3回転→2回転→3回転といった、アクロバチックな離れ業を危なげなくやってのける技術を持ち、
 白人並みの体型を得て、一流振り付け師を雇えるだけの財力を競技団体が持っているからに他ならない。
  全ての世界選手権・オリンピック級選手の中で、日本選手が上位にいるのは、アメリカやヨーロッパ、
 ロシアの選手と同じ土俵上で、強いと言えるからだ。と、言うことは、外国選手が同じ技術を身に
 付ければ、また負ける事になる。表現力は元々ロシアやヨーロッパの振り付けの伝統なのだから。
 荒川のコーチは、この間までコーエンのコーチだったのだ。日本のコーチを得て世界を制した米国
 女子バレーボールチームのような事は、スポーツの世界ではあたりまえの様に起こる。

  そういった「筋肉勝負」の世界に、ただ独り全く異質な選手がいる。それが村主章枝である。
 彼女が滑る、止まる、廻る。その時に氷片一つ舞い上がらない。ジャンプの時にスケートの刃が作る
 破片も、他の選手よりはるかに少ない。水泳の飛び込み競技では、空中の姿勢以外に、着水時の
 水しぶきの少なさが、大きな評価になる。スムースネスということだ。彼女の体重は45kgしかない。
 もちろん体脂肪の少ない、鍛え抜かれたスポーツ選手であることは当然だが、彼女は筋肉で跳んでいない。
 氷を友とし、絶妙のタイミングで宙に舞い上がる。そして、彼女の舞は、完全に音楽にシンクロしている。
 モーツァルトでスケートを踊る選手が現れるとは・・・。彼女だけ別の土俵で戦っているのだ。
  彼女はこう言っている。「トリノで伝説になりたい。「あのときの日本人の少女は素晴らしかった。」
 と言い伝えられる記憶に残る演技をしたい。」と。私はこの大それた彼女の願いは、傲慢ではないと思う。
 はっきり言って、メダルの色は問題ではない。メダルも荒川や、4回転娘にあげてもいい。
 「私もあんな風に滑りたい。」と世界中の少女達が憧れる演技が、"Suguri"だけには出来る。
  村主といえど、着地に失敗するときもある。少なくとも3回転を何種か混ぜないと、いくら芸術性の
 高い演技をしても、オリンピック選手にすら撰ばれないほど、今の日本のレベルは高いからだ。
 へたをすると高橋尚子の二の舞になるかもしれない。アテネで彼女が走らないことは、世界中の一流
 マラソンランナーの失望と嘲笑を買った。しかし、いかに高橋が秀でたランナーでも、彼女の走りは
 今までの長距離走技術の延長上にある、という事に過ぎない。
 しかし、村主は違う。あんな滑りをするスケーターは、今までいなかった。独りだけ氷上で舞う事が
 許される存在である。音楽が伝えたい感情を真に表現する事が出来る、得難い存在なのだ。
 ただの優秀な女子スケート選手の一人と思っておられる方は、もう一度彼女の演技を見て欲しい。
 この暗い世相、戦火に苦しむ人々に光と勇気を持って貰えたら・・・と彼女は願って滑っているそうだ。
 本当に、その気持ちが伝わってくる美しい演技なのだ。
 2003年12月、グランプリファイナル。観衆の誰もが地元コーエンの逆転勝利を疑わない中で、最後に
 SP首位の村主は静かにフリーの演技を始めた。流石にブーイングこそ起こらなかったが、開始直後は
 冷淡な空気が流れていた。しかし3分後には拍手が次第に起き始め、終了時には、コロラドの観衆は
 熱狂的なスタンディングオベーション。どんなコーエンファンも彼女の優勝を疑問視しなかった。
 予選に失敗して、メダルには届かないと判っていた世界選手権のフリーでも、渾身の演技が終わった時、
 誰よりも大きな拍手が、結局7位に終わった彼女を祝福した。
 彼女は演技後涙を見せることが多い。失敗の悔し涙の時もあるが、優勝しても涙ぐむ彼女を、異国の
 マスコミは不思議に思うそうだ。彼女は自分の演技には厳しい。うれし涙ではないと言う。演技に没頭
 出来た時に、自然に泣いてしまう。私達もその涙を共有出来る。
  
  もう彼女以外のスケートでは感動出来そうにない。

  父親の仕事(パイロット)の関係で、彼女は幼年時代をアラスカで過ごした。彼女にとってスケートは
 日常の遊びだった。
  私は、よちよち滑る日本人の幼女が、誰もいない夕暮れの湖で、氷の妖精に出会う光景を想像する。
 「あなたにだけ、わたしの踊りをあげる。」
 妖精は幼女に告げたのだろう。