キョンシーSの
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      ★005 新撰組について考える

  先日のNHK「新撰組!」を見て、「こりゃ駄目だ」と思った。
 イギリス公使館にやって来た近藤勇。沖田総司の姉がイギリス人たちに気に入られ酒宴となる。
 幕府の命で警備をしていた藩の武士が、突然異人の警備に嫌気がさして、槍を持って庭から上がって
 来て、イギリス人の一人を刺す。この事件自体は、史実であろうが、近藤たちが同席していたという
 記録はもちろん無い。例えば、近藤と龍馬が同じ時期江戸に居たことから、三谷脚本では、二人は
 知り合いという事になっている。このことの意味は分かる。同じような志を持ちながら、二人の道は
 微妙に離れ、悲劇的な結末を迎える。その決定的な違いは、龍馬が日本人であろうと模索したのに対し
 近藤勇はあくまでも武士であろうとした。そこにある。幕府講武所の師範になれなかった理由は、
 彼が多摩の農民上がりであったからだ。(天然理心流は、多摩地方の多くの農民が学んだ実戦的な剣術
 で、竹刀で派手に打ち合う、当時の多くの道場とは全く違う。)だからこそ、彼は最後まで武士である
 事にこだわった。そういう近藤勇が、もし槍を持って乗り込んできた武士を見たら、どう反応したか?
 竹刀剣術を修めただけの武士ならば、驚いて固まってしまったかも知れないが、天然理心流試衛館
 四代目館主である。とっさに槍をもった武士を受け流す事は、たやすい事だったろう。例え剣を預けて
 いても。異人のすすめるワインに酔って居たとしても。古武道では素手で戦う柔は当然、剣術と同じ
 様に習得される。番組での香取真吾は、トレードマークの大目玉をひんむき驚いてみせ、イギリス人が
 刺されてから、ようやく事の重大性に気付いて、武士を取り押さえようとするが、足を踏まれ尻餅を
 つく。三谷はこの史実の目撃者として近藤勇を配置しようとして、大きなエラーを犯した。近藤勇は
 圧倒的に強くないと、新撰組が成立しないのだ。農民の間に伝えられた古武道が、いかに多くの武芸者
 を驚嘆させ、近藤が局長であることを納得させたか、浅田次郎氏の受け売りではあるが、天然理心流の
 強さは必殺の突きにあったという。左足を引き正眼に構える。そうすると自然に剣が横に寝る形になる。
 そのまま身体ごと体当たりする。刃は横に寝ているから、すっと肋骨に入り心臓を直撃する。
 一本の刀でそう何人も斬ることは難しいそうだ。人間の血や油分で切れなくなるからである。しかし
 突くことは何回でも出来る。たった5人の隊士で二十人以上と戦った池田屋騒動では、近藤と沖田だけが
 二階に突入している。狭く暗い座敷では大刀を振り回しても鴨居に当たるだけである(たそがれ清兵衛
 でもクライマックスでその立ち回りがあった。)から突きは大変有効だったはずである。
 この実用性と、近藤、土方、沖田の真剣での立ち回りの強さに、多くの武士たちが衝撃を受け、新撰組
 の結束が生まれた。近藤は武士出身でなかったため、武士らしく生きることに生涯をかけた。もし、
 三谷脚本の様な失態を犯したら、近藤は切腹しただろう。ドラマは終わりである。
  浪士隊の募集に応じた近藤らは京に上り、会津候お預けの新撰組が誕生する。簡単に言えば派遣社員
 である。人出が足らないので、浪人の腕の立つものを集めたのである。当時の京は長州を始めとする
 攘夷派の志士が暗躍し、「天誅」と称して開国派の公家・思想家を次々と暗殺していった。京の警備
 をまかされた会津候と桑名藩主は兄弟で、共に岐阜の高須藩から養子に入っている。この高須藩と
 いうのが、実は大変凄い小藩で、幕府で言う「三卿(八代吉宗が創設した将軍家スペア養成の家)」の
 役目を尾張徳川家に対し持っていたらしいのである。高須藩始めいくつかの尾張家縁の小藩主の子弟は
 尾張徳川家の子弟と共に名古屋に集められ、文武両道を鍛えられて、最も優れた素質を示したものが
 次期尾張徳川家の当主となったそうである。尾張家藩主の息子であっても、無能な者は「狩りの最中の
 不幸な事故」でお亡くなりになったらしい。そういうスパルタンな環境に育った会津候が京都守護に
 任ぜられ、あえて浪士を募集したのである。それほど京の治安は乱れていたのだろう。
 私の新撰組への先入観は、「日本の夜明け」をもたらそうとする「勤王の志士」達を妨害する悪者。
 鞍馬天狗のおじちゃんにやっつけられて歯がみする近藤勇、というイメージだったが、当時京の市民に
 支持されていたのは新撰組だった。長州や土佐の「尊皇攘夷派」の「天誅」は凄まじく、怪しげな無頼の
 浪人でも「志士」を名乗れば、どんな乱暴狼藉もやりほうだい。取り締まりも困難を極めた。新撰組は
 必要な人材だった。近藤は、京の治安維持に活躍し、一つ間違えば無頼の徒に逆戻りしてしまう隊士を
 まとめる為、史上希にみる厳しい隊規を作る。武士らしくない行いをしたり、京の市民に迷惑をかけたり、
 脱走したりするものは容赦なく切腹である。武士らしく生きたい彼の思想は暴走し、例えば(寝袋の
 中から「悪いけどティッシュを取ってくれないか」と言っただけで総括=惨殺された「同志」がいた)
 「連合赤軍」のような恐怖支配を生んだ。実際新撰組隊士で死んだ者の数は、敵との戦いで死んだ数より、
 内部で粛正された者の数の方が多かったのである。そこまできまじめに「武士」を追求した新撰組は、
 人々に感謝と恐怖という背反する思いを抱かせた。幕府は黒船にあっけなく屈し、正社員である旗本や
 大名の家臣達は自己の保身しか考えない(真に開国して欧米に追いつくことを目指した佐久間象山、
 勝海舟らを除いて)。取りあえずみんな異人は嫌いなので「攘夷」を唱えておけばいい。
 そんな風潮の中で、近藤勇は武士であろうとした。別に幕府のやり方に賛成な訳ではないのである。
 近藤達には新撰組しか武士で居る方法がなかったのである。
  それにしても、農民、町人、脱藩した武士。そんな寄せ集めの連中をなぜ幕府は雇ったのか?
 今で言えば、原発内部を清掃する日雇い労働者、ヤクザの親分に言い含められて拳銃一丁で敵のショバ
 に突っ込む鉄砲玉。そしてボーナスもなく、時給で雇われる派遣社員。
 つまり、自分の手を汚さず、いざとなればトカゲの尻尾のように切り捨てて逃げる事が出来る存在。
 会津候は名門でありながら、あまりにも真面目に職務を遂行したために、後に薩長の恨みを買い
 会津戦争が起こる。その時必死に官軍を説得し、戦争を避けようとしたのが、家康が最も恐れた伊達政宗
 と上杉謙信の子孫伊達家と上杉家と言うのも皮肉である。しかし本家の将軍慶喜はさっさと大政奉還し
 大阪から江戸に軍艦で帰ってしまう。後は写真に凝って趣味三昧だ。
 後に捨てられ矢面に立たされ、今までの「忠勤」から新政府軍に最も憎まれたのが新撰組である。真面目な
 会津候にはその意図はなかったにしろ、幕府上層は明らかに新撰組を捨て駒として使った。
  長州や土佐も「尊皇攘夷」。新撰組だって本心はみんな「尊皇攘夷」。なれ合いとは言えないが、
 両方とも思想はあまり変わりがなかった。
 ところが、薩摩・長州がそろってイギリス等列強にコテンパンにやられるという事態が起こり、「攘夷」
 など、所詮無理な事が判った。そうなるとなるべく早く古い体制を捨てて、天皇を担いで日本を近代国家
 にしないと、列強の植民地にされてしまうことがはっきりした。そこで、薩長は坂本龍馬の仲立ちで
 手を組み(薩摩はそれまでどちらかと言えば親幕府だった)、倒幕に動く。これは時間との戦いで
 あったから、幕府などにでかい面し続けられては困るのである。
 15代将軍徳川慶喜は大変頭の良い人だったから、これ以上抵抗することは無駄と悟り、大政奉還し
 恭順を示した。かつて京都で治安維持のため「志士」を圧迫したのは、所詮臨時雇いの新撰組である。
 全てはこいつらが勝手にやったこと。幕府に責任はないです。と言うわけ。
 ちなみに龍馬は現実的な人で、勝海舟の見てきたアメリカの民主主義にあこがれを抱きながら、実際
 には将軍を議長にした雄藩政治(連邦国家のようなもの)を目指していたらしい。ある時期になって
 薩長は龍馬が邪魔になった。倒幕の障害物は取り除かねばならないのである。龍馬暗殺の下手人は
 新撰組にされた。薩長も新撰組を利用したのである。
  今、新撰組ブームとは何だろう?戦前の官軍・賊軍の反省から、会津候や新撰組の行動を客観的に
 見ようという戦後史学の成果であることは確かである。しかし「土方さーん。沖田さーん」と歓声を
 あげるギャルたちだって、新撰組の本質を三谷よりは知っている気がする。
 武士より武士であろうとし、惨めにも使い捨てされた、臨時雇いの派遣社員。それが新撰組である。
  浅田次郎「壬生義士伝」はそういう新撰組の真の姿を長期に渡る綿密な調査で再現した傑作である。
 映画は日本アカデミー賞を受賞したが、それほどの作品ではない気がする。浅田次郎自身、映画の
 出来映えに満足したと伝えられていたので、期待して見たが、がっかりした。(中井貴一はいいけど)
 上下2巻の大作を2時間にするのだから、枝葉を刈るのは仕方がない。しかし、この本の最も大切な
 シーン、吉村貫一郎がたった独りで錦の御旗をかかげた官軍に突っ込んで行くシーンが、全く描けて
 いない。金の亡者と言われ、家族への仕送りだけを楽しみにどんな汚い仕事も引き受けた吉村が
 最後の最後になって、誰も逆らえない天皇という権力にあえて突っ込んでいく。他の新撰組隊士にも
 信じられない光景であった。映画では何故か町の中。原作では土手の上である。この土手に登らず、
 通過する官軍(薩長軍)を見逃して退却すれば、取りあえず近藤や土方のように退路はあった。
 吉村の行為を作者は「本当の武士」ととらえる。駆け上がった土手は金の為に脱藩し、新撰組に入る
 吉村の心の葛藤の高さを表している。町の中では駄目なのだ。「日本国ひとつとも代え難い男」と
 斉藤一が号泣するシーンも映画にはない。安っぽいヒーローではないのだ。近藤が必死でつかもうと
 し、土方が函館まで戦い抜いた「武士とは何か?」「義とはなにか?」という問いかけの答が
 そこにある。明治になってから、近代化を急ぐ政府は結局列強と同じ道を選び、アジア諸国を
 植民地化し、米国との不可能な戦争に突入した。軍人だけが悪いのではないが、「米を作ってくれる
 お百姓を守るために武士はある。」という南部武士の魂があれば、日本の歴史は変わっていただろう。
 国際連盟を舞台に第二次大戦阻止のため懸命に働いた新渡戸稲造博士は「朝敵」南部出身である。
 この人がお札の図柄から消えるのを憂える声が無いのは、日本が平和を欲しなくなったからか?
 攘夷が駄目なら、開国。開国したら、近隣諸国を列強から守るのではなく、利権目当ての植民地化。
 (前線の兵隊達はアジア解放の聖戦と信じていた人も多かったらしいが、財閥とつながった上層部は
 そんな事考えていなかった。新撰組と同じ図式である。敗戦後アジア諸国の独立のため、帰国せず
 戦いに参加して、命を落とした元日本兵も多いと聞く。自分の信念に筋を通した立派な人々である)
 平凡なお父さんが、なぜ義のために命を落としたか?映画版「壬生義士伝」は描ききっていない。
  平和大国日本も自衛隊イラク派兵、憲法改正の動きで変わろうとしている。戦争で命を落とした
 沢山の人の願いが全く無視されようとしている。食べたいものだけを羅列したある出陣学徒(戦死)
 の手記を読んだことがあるが、そんな現在の平凡な幸せを作るため(牛丼がどうとか)死んでいった
 人達の事を忘れてはならない。
 今、なぜ新撰組か?この国の将来を心配すればするほど、新撰組の立場に例えば自衛隊を置くような
 政府を許してはならないと思う。
 三谷幸喜は、独自の解釈でドラマを作って全く構わないが、「新撰組とは何だったか?」をきちっと
 描ききらないと、脚本家として失脚しかねない。いや16才の少女に日本刀で刺されてしまうかも
 しれない。新撰組を描いたいくつかのマンガは(例えばピースメーカー)どれも格好いい主人公達を
 描いているが、新撰組の本質をある程度描いている。単なる礼賛ものではない。若者達は、新撰組に
 憧れを抱きながら、自分の将来に重ねている。勝ち組は年収3000万。それ以外はフリーターや
 派遣、サービス残業のよれよれ企業戦士。そういう二極化がこの国で起こり始めている。