ベルーシの減り靴カメラ

 9.画角と寄り

 よくある記事に「50mmは人間の視覚に最も近い」というのがあります。
しかし、これは正しいのでしょうか?
なぜ50mmが人間の視角に近いと言われるかについては、おそらく光学的・医学的に
正しい証明がされているのだろうと思います。しかし体感的にはどうも50mmは
狭すぎるように思います。(35mmフィルムのサイズから、理論的に導かれるのは
43mmであるとのご指摘を受けました。感謝いたします。)
 人間の視角は、これは医学的ではありませんが、体感的には20mm位かと思いますが、
その角度は、例えば横からふいに車が走ってきた時に「あっ!」と認識出来るレベルで
あり、常にそれが何かが認識できているわけではありません。
 人間の目はズーム機能を持っていませんが、視角の中で、対象をかなりしっかり
認識できる角度(とりあえず可認識角度と呼んでしまいます)が視野の中に更に
あると思います。これは何mmのレンズに近いのでしょうか?
この可認識角度はある程度変えることができますし、個人差もかなりあると思います。
人は多分生まれつき、この可認識角度に差があると思いますし、建物が建て込んだ
都会人と広々とした自然の多い地方の人、あるいは特別な訓練を受けている人
(サッカーのゴールキーパーはおそらく可認識角度がたいへん広いのではないか?)
など…個体差はかなりあると思います。50mmレンズが人間に近いという理論を
唱えるのは、大家であり、かれらは老齢のためこの可認識角度が徐々に狭まっており、
50mmがぴったり来るのでは?とか、メガネをかけている人は視界が遮られるので、
50mmに納得が行くのでは?などと考える人もいます
 おおむね、ほとんどの人が納得いく可認識角度は35mmのそれであろうと思います
絵を書く人は顔を止め、その認識できる角度内の情報をいかにキャンバスに留めるか?
に意をつくすと思います。すると近景では、35mmレンズで撮ったような風景が
その人の技量・表現法に応じて記されます。
 言い換えれば「私の写真には35mmがあっている」と言う人は写真を絵画的に捉えて
いるのではないでしょうか?あるいは表現として超広角を多用する人も、近代的な
絵画的写真技法と言えましょう。人物撮影で言えばポートレートということでしようか
 では、50mmは要らないか?というと、これが35mmと並んで、多くの写真家に愛用
されています。理由は何でしようか?
キャンディド・フォトという分野がありますが、歩きながら、自分の表現したい風景
に出会ったときに、現実を切り取るように写真を撮るときには、この可認識角度は
もっと狭くなっているように思います。手ぶれ補正ではないですが、歩きながら
風景を見ているとき、可認識角度はもう少し狭くなるように思います。じっくり
構えていないで、「決定的瞬間」を狙う場合には、35mm相当の可認識角度を
人間は撮り切れないように思います。
 ですから、普通のひとが町を歩きながら見て脳に記録された映像データは、
50mmの画角の写真に最も近くなると思います。私にとって写真は人間が視覚で
認識し、脳に記憶した画像データ(かなり主観が混じっている)を擬似的に
フィルムや印画に記憶し、他の人に追認識させる芸術なのですが、本来脳に
記憶されたデータは、主観により変化するにせよ、とりあえず動いていても自分が
一瞬に認識できる視覚であると思います。そう言う意味で「私の写真には50mmが
あっている」と言う人は、記憶再現的写真技法と言えるでしょう。人物写真で言えば
スナップということになるでしょう。
 それより望遠を求める人は、例えば75〜100mm程度の中望遠であれば、人間に
それ以上近づけない(たくない)時の策であり、それ以上の望遠は動物や人垣の
遙か向こうの人物や事象を捉える(つまりスクープという言葉の文字通りの語源)
ための策だと思います

 さて、私の友人Mr.スペック(前にT氏と紹介した人です)はレンズの画角について
このように明快な解答をくれました。
「同じ対象を撮影した場合、寄れば寄るほど広角レンズが必要となる」
これは反駁の余地のない実に科学的な発言です
 私のような文系カメラおたくが上記のような事をああでもない、こうでもないと
思いめぐらしている間に、彼はじつにシンプルな解答をくれました
レンズの画角を論じるとき、人はそれぞれ得意な被写体への距離を前提として35mmが
いいとか50mmがいいとか論じていますが、何が撮りたいのか、どのぐらいの距離で
撮りたいのかは、人によって全く違うのです
 広角レンズを手に入れた時、まずやることは風景を撮ることでしょう
私も28mmレンズをM3に付けて、随分テスト撮影をしました。しかし、なにか
つまらないのです。すかすかなのです。立木の多い林のような所ではなかなか
いいのですが、湖とか、山とかのある広い光景や道路が向こうにつづく光景などは
35mmの方がいいのです。ところが亀仙人師匠は日常フジカティアラを愛用して
28mmで人物に寄った写真をどんどん撮っています。撮られた人がもらって嬉しい
極上のスナップ写真が撮られ、「あの人は綺麗に撮ってくれる」と言うことで、ますます
自然に被写体に接して、思い切って寄った写真が可能になります。もちろん彼の腕が
あっての事ですが…。
私は50〜90mm位でちょっとタイミングを外して撮るのが好きですので、あまり撮った
人に喜ばれません。冷たい距離と言えるかも知れません。
 ささやか写真館2000年6月の写真を見ていただきたいと思います。これは50mmで
撮った写真ですが、広角で撮ったと言っても判らないのではないかと思います
これだけ離れている距離、遠くて小さな人物でも、背景の湖もくっきり写し出す
ズミクロンの解像度をもってして出来ることかも知れませんが、これ以上広角では
人間が小さすぎる、もっと彼女たちに近寄ったり望遠レンズを使ったとしも、人間に
頼りすぎた構図になってしまった
ぎりぎりのところでこの絵が出来たのは、偶然かも知れませんが、私が50mmを
デフォルト・レンズとして常に構図を決めてきたから、と自負したいところです。

 さて、ライカをはじめとするレンジファインダーカメラは広角用であるという通評が
あります。プロもライカに28mmとか35mm、ニコン一眼に望遠、というのが昔の
スタイルでした。これはレトロフォーカス(実はよく判っていません(^^;)フィルム面まで
の距離の長い一眼レフの仕様上、広角を実現するための設計ですよね?)のレンズが
どうしても実際の焦点距離を持つレンズにかなわない時代があり、そのために広角は
レンジファインダーという事になったと思いますが、REトプコール25mmを使ってみた
感想では、この10cm位まで寄れるレンズを使うと、ライカの70cm〜1mという
最短距離は広角ではもの足りません。現在ではライカの最も自然なレンズは、
せいぜい35〜90mmではないかと思います。
この範囲で自分の撮りたい距離と画角を考えてレンズ+ボディを選べば、
楽しいライカ・ライフが送れると思います。私にとってはズミクロン50mmが
それであり、ボディはライカのM3です。35mmでは、まだ「これだ!」というレンズに
出会っていませんが、これにはM5を主に使うことになるでしょう。

 一方、一眼レフは万能のカメラになりました。望遠系はもちろん、標準・広角でも
素晴らしいレンズがあります。あまりありすぎるので困りますが、ボディ1個でシステムを
揃えるより「これは」と言える名レンズ+ボディに出会えたら幸せですね。
私にとってはツァイスのプラナー85mm/1.4です。このレンズのためにコンタックスAXを
買いました。また広角のREトプコール25mmはそのシャープな描写と上記の理由で、
どんなレンジファィンダー用レンズより勝っています。ボディはトプコンスーパーDMを
使っています。

 いずれにせよ、自分の撮りたい写真を撮るためのレンズを数本持つことが出来れば
ズームは要らないのではないかと個人的に思います。

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