ナゴヤからの手紙
 
2015年8月
 
「夏祭り考」
 
 
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というほど、たいそうなものではないですが、名古屋に限らず、夏は祭り。
というのが当たり前になって来ています。
名古屋だとまず7月に、名古屋中の若者が(ぶっちゃけヤンキーが)集結する
と言われる、恐ろしい動員数を誇る
「名古屋みなと祭り」
 
あと7月下旬から8月上旬にかけて、オタク関係では最も過酷な祭典と
言われる(夏コミなんか、これに比べれば涼しいと思えるらしい)、
「世界コスプレサミット」
 
8月末に行われ、日本中の若者が青春を名古屋で燃やす
「どまんなか祭り(通称どまつり。よさこいソーラン系の舞踏チームの
甲子園的な祭典)」
 
これが名古屋三大夏祭りと言えましょう。
実は3つとも行った事がないという(汗)。どれか一つに参加しようと思うと
おそらく3連休をとらないと、体力が回復しない気がします。
それほど、名古屋の夏は過酷です。
 
ということで、私が行く祭りは涼しい夜の祭りで夜店メインになります。
上の写真は偶然通りかかった、某近所の町内盆踊りです。
こういう市民レベルの祭りは、主催者は大変ご苦労があると思います。
なんか市会議員さんレベルの人が挨拶したりして、かつては後援会の
選挙運動ではないか?などと指摘された事もありましたが、最近は
どうでしょう?
また祭りに付き物の夜店も、
「暴力団の資金源」などと言われ、手作りのバザーみたいな屋台を出す所も
ありましたが、元々屋台をしきるテキ屋さんの家業は一家制度ではありますが
暴力団ではありませんので、最近はこういう町内レベルでも屋台を出して
貰う様依頼するのが普通の様です(表題写真)。
 
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これが、野球グラウンド等で行われる、典型的な町内盆踊り風景ですが、
櫓の上や、周辺で踊る人たちは、恐らく事前になんどか練習しており、
揃っていますが、他は遠巻きで眺めているだけ、むしろ表題の夜店の方が
長蛇の列。という感じです。
名古屋でも住宅地は、故郷に帰省(東京以外の人は田舎に帰るとは言わない。
昔”へえ、君の田舎、京都なんだ”と言った馬鹿東京人がおりましたが(笑))する
人が多い中で、毎年よく開催出来るものだと、頭が下がります。
子供に思い出を作ってやりたい。というのが祭りを続ける真意。じゃないかと
思います。
 
来月の写真館でまとめますが、今年は東海市の花火大会が無事開催されました
こちらは地方自治体主催の公共祭りで、莫大な費用がかかったイベントです。
昨年は予備日含めて台風にやられ、中止になりましたが、かなり頭が痛い
損失だったと思います。
昨年花火難民となった私を救っていただいた
「刈谷わんさか祭り」もサッカー場を使った公共祭りです。
 
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東海市だけでなく、私のような周辺のものも、この雄大な花火ショーを
観るために集結し、明るいうちから場所取りをします。
私は3時間以上前に到着しましたが(これより遅れると交通規制で車・バイクが
入れない)、もうこんな感じ。
この花火大会も、沿道にもの凄い規模の屋台が並びます。
 
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8月末に私が、ここ数年言っているのが、天白区島田の
「地蔵寺の提灯奉納祭り」で、ここは伝統祭りで曜日関係なく8/24。
今回初めて、本来の提灯奉納を拝見いたしました。
各町内で高張り提灯をお寺に奉納するため、それぞれの集落から行列をする
という行事ですが、事前に和太鼓のプロユニットを呼んで盛り上げても、
婦人会が盆踊りを踊っても、結局は
 
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夜店に人は群がる訳で、結局クライマックスのはずの提灯の入場は、
 
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夜店の人ごみをかき分けて入ってくる有様です。
からくりの山車や、けんか神輿の様な圧倒的な装置があれば、現代人も
心引かれるものがありますが、交通量の多い街道や、犯罪防止のために
街路灯が完備した道路を行列しても、祭りの主役となるのは難しくなって
しまったのでしょう。
30年以上前ですが、足助町(現在は豊田市)を夜間車で走っていた時、
祭りのため神社に向かう集落の人々の行列に遭遇した事がありました。
暗い峠道に忽然と現れた上下を着た、氏子達が提灯をもつ姿は、
幽玄、というより現世ではない様な気さえしました(もちろん懐中電灯を
持った警官が誘導していましたが)。
私が天白区に初めて来た50年以上前の、舗装道路もなかった記憶からして 、
闇という装置があった昔には、この高張り提灯の行列も、大変引き立った
のだろうなあと思います。
 
結局、町内会がやっても、地方自治体がやっても、伝統行事でも、
人々の関心が夜店、屋台に向かってしまうのは、食欲。と言う事もありますが
子供が寝なければ行けない夜に、広場という暗闇空間で、発電機の電球だけが
光り、暗い中で買い食いをする。
この異常事態が子供心にいつまでも残るからだと思います。
治安の問題もありますが、この寺の祭りも、提灯が入る時だけは電気を消す
などして、観衆を集めて、そしてなんとか昔の木遣りかなんかを復活して
もらって(小学校の郷土クラブで、木遣りを聞いた気がする)、歌いながら
入場。という風にすれば、わずか30分のセレモニーでも、祭りの主役に
なれるのになあ。と思いました。
このへんは、地元の長老の記憶を総動員して、伝統を継承して欲しいですね。