ナゴヤからの手紙
 
2019年5月
「Tweetでたどる5/19」

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この間日曜日にどこか行こうと思って何気なくネットのニュースを見て
いたら、名古屋の古墳ミュージアムがなかなか盛況だと言うニュースが
出ていました。名古屋で古墳と言うと熱田区のあたりを連想するのですが、
これは守山区の志段味古墳群のミュージアムでした。
守山区と言うのは名古屋の北東のはずれにある区で、瀬戸物で有名な瀬戸市に
隣接しています。もともと守山市と言う別の地方自治体だったのですが、
合併で名古屋市になった区の一つです。
子供の頃から、その鳥が飛ぶような形をした区を地図で見て、行ってみたいな
と思った覚えがあります。

志段味と言われる地域はそのさらに1番はずれにあり、元々ここも守山市とは
別の村だったのですが、守山市と合併した地域です。
今でこそ名古屋の住宅地として整備されていますが、以前は
“名古屋のチベット”と言われたほど、農村の自然が残っていた、のどかな
地域でした。志段味と言う珍しい地名は“しだむ”と言う言葉から来たらしく、
それは山から湧水が湧いて川を作っていく、そういった水源地の有り様を
表していると言われています。志段味の北には東谷山と言う、
名古屋で1番標高の高い山があり、フルーツパークと言う公共施設もあります。
名古屋の小学校では、ここに遠足に行くこともありますが、私は1度も行った
ことがありませんでした。志段味はかつてインターネットで知り合った
年配の友人がいて、お邪魔したことがありましたが、それ以外は足を運んだ
こともありませんでした。ここに4世紀から5世紀頃までの非常に沢山の
古墳群があると言う事は実はあまり知りませんでした。
今回名古屋を語るのに、こういった素晴らし遺跡に、1度も行っていないのは
恥ずかしいことだと思い、行ってみることにしました。

バイクで行けば一時間程で行けるのですが、ここはせっかく敬老パスも
手に入ったことだし、地下鉄とバスを乗り継いで行ってみることにしました。
特に最後に乗ったゆとりーとラインと言う、全国でもここにしかない、
レールガイドバスの路線は、このコラムで取り上げるのに充分価値がある
ものだと思います(実は前に一度取り上げています)。
このレールガイドバスの構造は、全くミニ四駆そのものなので、本当に
心が躍ります(笑)。都心部では高架のミニ四駆コースみたいな路線を、
両側にローラーをつけたバスが走って行きます。建設に呆れるほどお金が
かかるので、名古屋市も他の自治体もこの路線以外に後を追うものは
いませんでした。そういう意味でも貴重な存在です(汗)。
ローラーの構造上と交通法規上、ガイドのないところを走るには、
車体の下にローラーを収納しなければいけないので、低床バスにすることが
できず、このことも今後このような都市交通機関が作られない原因に
なっています。
それでは少し数が多いですが当日のTwitterをご覧ください。






































しっかり歩いたし、有意義な1日でした。この古墳群は白鳥塚と呼ばれる
4世紀後半に作られた前方後円墳を中心にして、5世紀あたりに、
まるでリスペクトする様に帆立貝型と呼ばれる後期の古墳群が、
聖地東谷山を見上げる盆地に作られました。ミュージアムでは、
大和王権との結びつきがあった白鳥塚の大王は熱田に下って尾張氏となり、
残って塚を守る志段味の首長達が後半の古墳群を作ったのでは?
と言う見解の様で、これは興味深いです。

白鳥塚と言えば、ヤマトタケルが三重で埋葬された後、白鳥になって
熱田の白鳥古墳まで飛んできた(大和や河内にも。どんだけ飛ぶねん。
八犬伝の宝玉か(笑))と言う伝説がありますが、志段味の白鳥塚には
別の伝説があり、これは一度三重県鈴鹿市の白鳥塚や、亀山市の
ヤマトタケル陵墓と戦前宮内庁が認定した能褒野王塚古墳(困った事に
埴輪が出て来るので築造は志段味の白鳥塚より後(汗))にも
行ってみたいです。小説に書きたいな。

まあヤマトタケルは実在の人物ではないそうですが、愛剣の草薙剣は
尾張氏の氏神である熱田神宮に祀られ、皇室の三種の神器の一つなのです
から、志段味→熱田ルートは大和王権誕生にも大きな影響を及ぼしたのでは
ないか?と思われます。
オラ、ワクワクしてきたゾ!


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