ナゴヤからの手紙
 
2015年9月
 
「魔女の秘密」
 
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こないだ博物館に行って参りまして、博物館というのはよくわからないもの
ですね。美術館っていうのは美術品が置いてある。秘宝館というのは秘宝が
置いてある(笑)。
じゃあ博物館というのは 博物が置いてあるんですよね。博物てなんでしょう?
例えば大英博物館であれば、大英帝国の植民地支配による略奪品の数々とか
言われていますけれども。
英国人にとって初めて見る、まあ当時の差別的な彼らにとっては
「野蛮な地域」の品物。どれが価値のあるものでどれがないものなのか
どうやって選んで持ってきたんでしょうかね?
現地の滅ぼされた国の王様とかが
「お願いだ持ってかないでくれー」
とかいうのを蹴っ飛ばして、
「これはいいものだ(ヤドカリつながり(笑))」
とか言って持ってきたんでしょうか?
 
私は初めて行った博物館は東京の上野博物館でした。
中学校の修学旅行です。友達と
「東京に行くんだから田舎者扱いされないようにしようぜ」
などと話し合って親に頼んでボストンバックを買ってもらったり、
新品のズックの靴を買ってもらったり。
今思えば田舎者そのモノの行動をとっていたわけですが、
まあ私が人と違っているのは、
「あの時は田舎者だったな」
などという感想をもうすでにその時、修学旅行の感想文に書いてることです
(どんだけ(笑))。
担任にシニカルと評価を受けましたケド(笑)。
 
ともあれ上野博物館ですが、修学旅行特別列車コマドリ号で東京に向かった、
最後の世代である私が( 次の学年から新幹線だった(悔しい))、
 
              資料映像
 
東京で最も感銘を受けたのは、実は上野博物館でした。
もうほとんど覚えていませんが、金塊とかダイヤモンドの原石とか初めて
見ましたよ。
それからミイラというもの初めて見たのもこの時です。
子供の頃
「恐怖のミイラ」というテレビドラマがあって、包帯でぐるぐる巻きにされた
ミイラが夜中に襲ってくるという、当時の子供には大変怖いドラマだったん
ですけど、ミイラとは包帯グルグル巻きの、そういうものだと思ってました。
あれはエジプトの高度な防腐処理のために薬品に浸した包帯を使ったわけで、
もちろん中身は人間の干物なわけです。博物館で見たミイラは南米で自然に
ミイラ化した、そういうものを持って来たらしいですが、骸骨というのでは
なくて、何か特別なものという気がしました。
つまり、ミイラは、エジプト型=人為的に防腐処理。
自然型=なぜかミイラになった。太った人はミイラにならないそうで、
俺は無理だ(悲しくないけど(笑))。の二種があり、中間に
即身成仏型(絶食等して、わざとミイラになりにくくして自然ミイラ化。
後から弟子が掘り出して防腐処理をしたらしい)があるという。
珍しいものということなら、外国から死体まで持ってきてしまうのが
博物館なんですね。
 
(ミイラ系の参考資料はなしね。怖いから(汗))
 
さて我らが名古屋博物館は今何をやってるかというと、
「魔女の秘密展」というものらしいです(~9/28)。
最近はアニメでも、いわゆる魔女ものというものが結構多くて、まあ魔女と
いうより魔法少女と言った方がいいのですけど、
「純潔のマリア」のようにはっきりと中世の魔女が存在した時代を描いた
作品もあります。
 
この展覧会では、一部分現代のそういう作家の原画なども展示されていると
いうので、
「これは行かねばなるまい」ということで参りました所存です。
ところが実際に行ってみて、入場料のことが頭から抜けていました。
公立の博物館なので、そんなに高くないだろう。
500円ぐらいかな?と思って行ったら、なんと1300円!!
これは入るかどうか、かなり迷ったのですが、ませっかく来たのだし、
「仕方ない1週間ほどちょっと貧乏な食生活をすればよい」と思い
清水の舞台から成仏する思いで、入ったのでした。
 
中世のヨーロッパで、魔女というのは悪魔と契約した主に女性のことです。
中には男性を魔女と呼ぶ場合もあるようですが、英語のウィッチというのは
特に女性に限ったわけではないようです。
この展覧会の内容は、
「歴史的に魔女というものがどういう位置づけであったか?」という事を
わかりやすく展示してるわけですが、大きな問題として魔女という人が
本当にいたのか?
いたらその人の使っていた道具とか、服とか、書いた本とか。
そういうものがあればいいのですが、当然ながらそんなものはないのです。
 
          参考資料
 
そこで
「当時の人が魔女をどう想像していたか?」まあ考えてみれば我々が今
「妖怪というものをどう思ってるか?」とあんまり変わらない想像図が
並んでるだけです。
魔女の原型というのは、ヨーロッパにキリスト教が広まる前の原始的な宗教。
例えばケルト族の神話。
それから民間療法のようなもの=野草を摘んで煮詰めて薬を作る毒も作る。
 
       参考資料
 
あとは錬金術。ま、これは人間の欲望が生み出したものですが。
 
       錬金術師:参考資料
 
こういったものがキリスト教の布教によって、だんだんだんだん否定され、
闇に葬られていく(初期キリスト教の多くの部分が、ギリシャで完成した為
当時のキリスト教義は、アリストテレス自然科学の影響を大きく受けていた)
そういう歴史の中で、魔女は登場したと考えられています。
 
とはいえカトリックがキリスト教の全てだった時代は、ヨーロッパに布教する
ため、そういった民間宗教や伝承などは巧妙に教えに取り込まれてきました。
大地の女神への信仰→聖母マリアを信仰するというように。
16世紀になって、カトリックのそういう大雑把さから次第にキリスト教が
腐敗してくると、それを批判するプロテスタントが誕生したわけですが、
当然カトリック側も従来の態度を反省してくわけで、お互いにキリスト教的で
ないものを、なあなあで取り入れていたのを、厳しく切り捨てるように
なってきました。
そういう割り算で終わらないあまりみたいなものが、真に排除されてるように
なり、黙認されていた日陰者が、魔女と呼ばれるようになったのです。
宗教戦争という大きな戦乱の中で、人々のストレスは
「魔女をさばいて滅ぼす」そう言ったことで解消されるようになります。
これが魔女狩りと魔女裁判です。
 
         参考資料
 
どっちの教えが正しいのか?ピリピリした対立の中で、明らかに教えにない
ものは、どんどん攻撃されていくわけです。
「純潔のマリア」にもありましたが、民間療法的な大変効果のある薬を
作っている。そんな人がいるとして、まあ魔女の宅急便のキキのお母さん
みたいな人ですね。その人の作る薬には、大変お世話になっていて、
今までみんな感謝してたのに、あるときアレルギーか何かわかりませんが、
その薬が合わない人が、かぶれたり調子が悪くなったりすると、いきなり
魔女扱いしたりするわけです。
 
    キキのお母さん:参考資料
 
この展覧会では魔女狩りと魔女裁判に大きな力点があり(それは当然ですね。
本当の魔女を展示するわけにはいかないので)、
どんな人が魔女として告発され、特定され、裁かれて死刑になったかを、
実例を挙げてわかりやすく示されていました。
 
○先祖からの、非キリスト教的習慣にしたがってきた人たち。
○人とはちょっと発想が違う人たち(今でいう不思議ちゃん)。
○精神を病んでいたのだろうと思われる人たち。
一番怖いのは、
○隣の人がちょっとおかしな人、今で言うモンペみたいな人だったとき、
 おかしくない方の隣人が密告されて(今で言えば痴漢冤罪?)。
 
こういう何の罪もない人たちが、何十万人と殺されていたのだそうで、
特に宗教戦争が最も激しかったドイツでは、最も多くの人々が魔女として
裁かれ闇に葬られていたのです。
 
           参考資料
 
それからこの展覧会ではペストの大流行の時期に、大規模な魔女狩りが
行われたという事実も
展示されていました。
ネズミを媒介として当時猛威を振るった伝染病のベストは、
「黒死病」と呼ばれ大変恐れられました。一度この病気にかかると、
次々伝染するので、貴賎関係なく隔離され、死体は焼かれました
(本来ヨーロッパは伝統的に土葬。火で焼かれると終末の日に復活できない
と信じられていた)。
当時は病原菌に対する知識は全くありませんから、ペスト大流行は悪魔の仕業
としか思われませんでした。そして悪魔の手先である魔女たちがそれを広める
役目をしたと考えられたのです。
「ペストの大流行を食い止めるには、魔女を滅ぼすしかない」と思った人々は
疑心暗鬼になり、
「隣の人々も魔女なのではないか?」
と密告合戦が始まったのです。
 
ペストの流行と魔女狩りの歴史の展示の中で、とても興味を引いた1枚の絵が
ありました。それは
「聖ロザリア」の宗教画で、奇麗な女性が頭蓋骨を持って立っている絵でした
 
           参考資料
 
説明によると、聖ロザリアは12世紀に実在した女性で、500年ほど経って
17世紀に、その遺骨が発見された途端に、ペストが収束したことにより、
シチリア島のパレルモという都市の守護聖人として、今も信仰されている
そうです。つまりこの絵の女性は自分の頭蓋骨を持っているわけで(汗)、
なんだか落語にある
「見世物小屋の、九郎判官義経公五歳の頭蓋骨」みたいな話です。
家に帰って、もう少し詳しく調べてみると、聖ロザリアは1130年から1166年
まで実在した、なんとあのチャールズ大帝(ハートのキングでおなじみ)の
末裔という由緒正しい貴族の娘で、何故か家を出て洞窟のようなところで
暮らしていたそうです。
 
36歳で亡くなったということになります。その遺体は長らく放置されていた
ようで、だったらなんで36歳で死んだことがわかっているのか、不思議
なのですが(笑)、いいお家のお嬢様が隠者のような生活をして挙句の果てに
誰も知られず亡くなっていた。というのはかなり興味深い話です。
深い信仰を持っていてそんな生活をしたとされていますが、結局何かが
あって(気の進まない結婚を強制されたとか?)、現実の生活に馴染めずに
そういう逃亡生活を送った人ではないか?
とも思えます。
 
名家のお嬢様なのに、埋葬もされず、生きていたときは特に目立った
善行(カトリックの教義ではコレ重要)も記録されておらず、彼女が
生きていた12世紀にどんな評価を受けていたのか?
今となっては全くわかりませんが、どうも実家からは、
「最初からいなかったことにされていた」感じが濃厚。でも洞窟に暮らす
聖女のイメージは強烈だったので民衆は語り伝えたのでしょう。
つまり、正直17世紀頃に生きていれば、間違いなく魔女扱いされた人なのでは
ないか?と思われます(そして現代ならヒッキーか)。
 
彼女が何故聖人になったかといえば、500年も経ったある時、突然一部の人の
前に姿を現し、
「私の遺骨を探して華やかな行列で町まで運びなさい」と命じたからです。
人々が命じられた場所に行くと、確かに遺骨があり、それを言われた通りに
街まで運ぶと、
あら不思議!たちまちペストが収束したと言われています。
どんな病原菌でも増殖をどんどんしていく時期と、菌としての寿命がつきて
収束していく時期があるそうで、たまたまその時期が彼女の遺骨が発見と
重なった。とも言えますが、当然当時の人はありがたい遺骨が発見されたこと
によって、病気がおさまっていくと思ったに違いありません。
 
一般的にカトリックの聖人というものは簡単には認められません。
マザーテレサの死後、彼女が聖人に列せられるまでずいぶん時間がかかった
事を見ても実は
「どれだけカトリックにとって功績があったか?」よりも
「その生涯に、明らかに神の奇跡と思われる出来事があったこと」が必要
ということで、
マザーテレサの場合は彼女の非常に実務的な性格から、なかなか奇跡を見出す
ことが難しかったから、認定が遅れたと言われています。
この聖ロザリアの場合、奇跡としての要素は十分ですが、なにぶんにも
どういう人生送ったのか、全くわかっていない。そういう女性であったにも
かかわらず、都市の守護聖人として認められたということは、いかに当時の
人にとって伝染病が深刻であったかということ示していると思います。
 
時代が下りペストの流行も収まり、宗教戦争も一段落し、また科学も発達して
きて、迷信にとらわれることが少なくなってくると、魔女刈りは終焉を
迎えます。
ただし植民地ではここから魔女刈りが始まったと言われていますが、初期の
アメリカ大陸などでも、そういった例が見られます。これは人々が厳しい
自然の中の開拓や先住民との争いの中で、激しいストレスにさらされ、
何かをいじめないとやっていけない。そんな16世紀のヨーロッパ人と、
同じ心境になったから。だと考えられます。
私の若い頃に、連合赤軍事件というのがあって、理想に燃えていたのに現実の
壁は厚く、次第に追い詰められていった若者たちが、パニック的にお互いを
殺しあう。という悲惨な事件でしたが、
「なかなか起きれなくて寝袋から出てこれ無かっただけで殺された」人が
いたという報道に、子供心に
「ああ俺は絶対殺される側だ」と思ったものです。
 
結局この展覧会でも、戦争や伝染病と言った大きなストレスが、ちょっとでも
人と違った行動をとる(あるいは悪意ある人に勝手にそう決めつけられた)
人間を密告して、魔女扱いしていく
「いじめの構造」が魔女裁判を産んだと結論しています。
人間というのは不思議なもので、嵐のような魔女批判が終了すると、
むしろ魔女は怖いものから、おとぎ噺の登場人物になってきます。
この辺の手のひら返しはあきれるほどで、白雪姫の継母等はまだ悪い魔女の
イメージを引きずっていますが、
 
       参考資料
 
シンデレラのかぼちゃを馬車にしたりガラスの靴を履かせたりする妖精と
いう存在も、女性ということから考えても、要するに魔女ですよね。
正義の魔女登場です。
 
           参考資料
 
日本では魔女狩りの歴史自体が存在しないので、西洋から伝わった魔女と
いう存在は、どんどん悪役から離れていきます。
”サリーちゃん”は魔法使う魔女(しかもサリーちゃんのパパはどう見ても
大魔王)として最初から主人公ですし、
 
         参考資料
 
”魔女の宅急便”では魔女自体が、
人々の生活の中に完全に溶け込んだ世界が描かれています。
 
            参考資料
 
 
アニメでは、年若い魔法を使う少女という意味で魔法少女が人気になり、
”セーラームーン”から”まどかマギカ”まで様々な魔女が今日も生み出されて
いきます。
 
        参考資料
 
”まどかマギカ”は魔法少女の持つ闇の部分を提示して見せましたし、
 
        参考資料
 
”純潔のマリア”ではまさに魔女とそれを邪魔とする宗教勢力の対立が
描かれています。
 
      参考資料
 
人々はどうしてこんなに魔女に惹かれるのでしょうか?
今回展示物はあまり惹かれるもは見受けられませんでした。
魔女を尋問するための拷問道具が結構ありましたが、有名な
「アイアンメイデン」はありませんでした。まあこれはほんとに使うと
自白どころか死んでしまうでしょうから、実際には使えなかったでしょう。
なにしろ、内側にトゲがいっぱいある鉄の人型の中に人間を入れて、蓋を閉め
てしまうという荒業ですから(存在そのものが都市伝説という説もある)。
 
    参考資料
 
展示品で一番凄そうなのは、椅子なんですけど木でできたトゲがいっぱい
生えていて、座ったらさぞかしツボ押しそうなそんな奴でした。
 
    参考資料
 
アニメ ウィッチクラフトワークスのエンディングにも出てきた、
車輪に人間を縛り付けて、ぐるぐる回す拷問道具もありましたが、
車輪しかなくて、
「これって馬車の車輪じゃね?」と思ってしまいました。
 
           参考資料
 
正直展示品はしょぼ。失礼、とにかく
「1300円の割にはちょっとなあ」という感じがしました。
期待していた現代の作家たちの原画の展示も、どっちかというと
色紙っぽいのが多くて、もう一つパッとしませんでした。
でもそんなことはどうでもいいほどの実は大変大きな収穫がありました。
 
それはこの展覧会を見に来た人々を観察することができたことです。
まず観客の9割以上が女性であること。
平日のせいもあり子供はいませんでしたが、とにかく女性ばっかり。
2人連れも多かったですが、1人で行動して食い入るように展示を観察し、
最後の売店では、展示物の絵葉書とか、有名な店の魔女のクッキーとか、
「魔女カレー(あの鍋で何煮込んだんだ)」とか、
 
       参考資料
 
専門書とか、買い漁っているたくさんの中年、失礼もう少し若い方も多かった
ですが、いずれもそれ程今の若い方のファッションではなく、長めのスカート
とかジーンズとか、あっさりとした服装の方で、売店で買った例のつばの
大きな黒い三角帽を被ってる人も。
 
こういうの:参考画像
 
たまにしっかり化粧をしていても、鎖じゃらじゃらで口紅が紫だったり(汗)
魔女オタクというのでしょうか(デーモン閣下の信者もいたかも)?
そういう人たちがいっぱい詰めかけていて、平日のなのに結構混んでいた。
というのが印象です。1ヶ月以上も開催されているこの催しが、まだこんなに
人を集めるというのは、いかに日本で魔女の人気が根強いかということを
表してると思います(ちなみにこの催しは全国を廻っている。次は浜松に
来襲だ!)。
私は家族にウィッチクラフトワークスの絵葉書を買って帰りました。
 
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行くことを勧めるか?というと、ちょっと迷いますが、この事と、
聖ロザリアさんに会えた事で、一応1300円の元は取ったつもり。
地元では圧倒的な人気を誇る聖ロザリアさん※ですが、私はこの人の伝説の
空虚さが大好きです。なんか生産性に無関係な感じで、私のオタク心・
ボッチ心が深くリスペクトしてしまいます。
500年経っていきなり出てきたのも、魔女扱いで死刑になりそうな変わり者
(中には真・魔女もいたかも)を救うため、ペスト終息に乗り出した。と
考えるのは、うがち過ぎかもですが、とにかく私の守護聖人にもなって欲しい
一生ついて行くっす。
 
(こちらの絵は、余り禁欲的な隠者には見えない:参考資料)
 
※ちなみに聖ロザリアで検索すると、凄い写真が出てくる(注意!)。
 パレルモの町に眠るもう一人のロザリア。
 20世紀初頭に2歳で死んだ将軍の娘。父親は死を悼んで、当時超一流の
 死体保存師に依頼。まるで眠っている様な可憐な幼女。
 これはエジプト型人工ミイラの頂点だろう。
 一方自然型では、30年程前に発見された
 「桜蘭美女」が有名。現在も公開されているらしい。今はミイラらしく
 黒ずんでいるが、発見された時は真っ白な顔で、コーカソイド系の美女。
 当時新聞で写真を見た僕たちは、美しさに息をのみ、
 「いつまでが死体で、いつからがミイラか?」で友人と議論になり、結局
 「春が来て、君はミイラになった。去年よりずっと、ミイラになった」と
 合唱して、議論を終えたのは良い思い出(笑)。
 
出口を出て次の特別展が
「横井庄一さんの生活用品」つまり彼がグアム島で隠者のような生活
(森の精霊とか言われてたとか)=戦争が終わったのを知らずに隠れていた、
その時の自給自足の生活の用品展覧会であることがわかりました。
 
こっちも行きたい。
 
私は当時から、ルバング島で戦い抜いた軍人小野田少尉よりも、
名古屋の庶民の兵隊で、敵に見つからないように何十年も隠れていた、
横井さんが大好きでした。
 
未だに名古屋のおじさん達は立ち上がるとき、
「よっこいしょういち」と言いますが、名古屋のおじさん(もとい、
おじいさん)の私は、この展覧会もぜひ行きたいと思っています。