ナゴヤからの手紙
 
2015年10月
 
「いちばん凄い人」
 
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先月に引き続き、博物館に行って参りました。
先回の最後に記しました様に、横井庄一さんの生活展。
戦後27年間も、グァム島で独りで戦った日本兵。
横井伍長の遺品である、グァム島での生活用品を展示し、併せて戦時の世相を
新聞等の資料で展示したものです。
 
横井さんの帰還の後、フィリピンのルバング等で、小野田少尉が発見され、
これも大きく報道されましたが、部下と共に、密林で文字通り戦い抜いた、
小野田さんに比べ、横井さんはグァム島という、結構人も住んでいる米領で、
民家から6kmしか離れていない場所で、穴を掘り、地下生活を続けていた
横井さんは、
「日本がポツダム宣言を受諾し、負けた事は知っていた。しかし捕虜になると
殺される。と教えられていたので、怖くて投降出来なかった」と言っています
日本の兵隊の勇猛さ、死を恐れない勇敢さを体現したのが小野田少尉だと
すれば、横井さんは徴兵で戦争に駆り出された、日本人の本音を体現した
方だと思います。帰ってきた時、横井さんの言った、
「恥ずかしながら、帰って参りました(と新聞には書かれたが、実はそんな
事は言っていないと、後に横井さんは言ったらしい)」という言葉は、
流行語になりましたが、決して自分の人生に悔いなしなどとは言わない、
横井さんの控えめな言葉は、国民の大きな共感を得ました。
 
高校生だった私も、当時突然帰ってきたこの名古屋の(正確には名古屋の
西部)おじさんを、なんか
「凄い人だなあ」と思う反面、
「この人仲間だ。威張ってない」と本能的に受け入れていた気がします。
生活指導の威張った先生じゃなくて、定年間近の飄々とした先生みたいな。
当時も新聞やテレビで盛んに報道されましたが、横井さんの凄い所は、
人から隠れて、原始人みたいな生活をするのではなく、道具を自ら作り、
生活に必要な生活用品の殆どを自作していた事。
戦前の庶民の生活水準から考えても、電気がない事以外は、殆ど作り出して
居た様です。
草木の繊維から布を織り、真鍮の針金を研いで作った針で、服を縫う。
今回の展示でもポスターになっている、この服は横井さんの作ったものです。
 
横井さんは元々洋服屋さんでしたので、こういった知識はあった方ですが、
それにしても、何も手に入らない様な環境で、よくこれだけのものを。と
思います。
今回の展示を見て強く感じたのは、かつて私が座右の銘にしていた
「クリエイティブしてないと頭が腐る(英語表現の誤用はわざとです)」
という言葉。
横井さんが27年間も生き抜き、正気を保っておられたのは、乏しいジャングル
での生活の中で、なんとか少しでも楽に生活が出来る様に工夫を凝らし、
物を作り出す事に、人生の楽しみを見いだしたからだと思います。
今回実物を拝見出来、改めてこの方の凄さを実感しました。
 
日本に帰ってからの横井庄一さんは、
「テーラー横庄」という洋服屋さんを立ち上げる話もありましたが、
「生活評論家」としての仕事も多忙を極め、結局静かに暮らせたのか、
幸せで、クリエイティブな余生だったのか、判らない所があります。
趣味として陶芸や書などをしておられた様です。
マスコミの反応は、真面目な軍人の小野田さん(結局南米に移住された)に
比べ、名古屋弁でひょうきんなキャラクターから、軽く見られる感じが
あった事は否めません。
参議院の全国区に立候補したときも、ナゴヤ人の反応は、
「横井さん、乗せられて、気の毒に」という感じでした。
でも本人は大真面目で、自分の戦友達が命を捧げ、自分も人生の多くを
費やして、日本を守る為に戦ったのに、その日本の現状は…。というかなり
強い危機感があったと言います。
 
お世話をする人が居て(横井さんの年代は見合いが普通だった)、結婚した
奥様と晩年を過ごされたのは、本当によかったなあと思いますが、
恋愛が家の都合ではないこのご時世に、奥様はどういう心境で横井さんと
結婚したのか。やはり横井さんの創造的で真面目な性格に惹かれたのだと
思います。
この当時の女性には、恋人や婚約者が徴兵されて戦死したために、
戦後も結婚せずに独身を通した方が少なくないのですが、そういう方に
とっては、まるで愛しい人が帰ってきた様な、そんな気持ちになったのが
横井さんや、小野田さんの帰還だったといいます。
戦争で大黒柱の父を亡くし、戦後の混乱期を下の子達の為に、お姉ちゃんが
必死で働くうちに、いつしか婚期が遠のいて、という方も多かったそうです。
ご事情は判りませんが、戦後もお独りだった奥様にとって、横井さんとの
結婚は幸せだったのでしょう。
現在もご自宅の一部を、
「横井庄一記念館」として、開放されています。
 
ナゴヤのおじさんたちは、今でも椅子から立ち上がる時に、
「よっこいしょういち」と言います。
これは、横井さんを馬鹿にしているのでは決してありません。
多難な人生を、物を作る事で生き抜いた郷土の英雄に対する、深い
リスペクトが、そこにはあります。
 
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名古屋市博物館の企画展
「横井庄一さんのくらしの道具」は、わずか入場料300円。
魔女の1500円と比べるのもなんですが、
「ひとりの、普通の人が過酷な条件で生き抜いたのは、奇跡なんかじゃない」
事を強く感じさせるいい展示だと思いました。
いつか、記念館にもお邪魔したいです。
 
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横井さん達が遺してくれた、平和な日本。
帰りに、老夫婦が守り通している名店
「男爵屋」さんのメンタイココロッケ(ちょっとその場に倒れたくなるほど
旨いのに140円)をほおばりながら※、
「人が物を作る力って、本当に凄いなあ」と思った私でした。
俺ももういっちょ、クリエイティブするか?!(誤用は承知(笑))
 
※ウイークデイなのに、お惣菜に買う電動自転車(子供椅子付き)の主婦。
レクサスで乗り付ける奥様、チャリで立ち寄る部活帰り男子高校生たち
(お前ら、買い食い駄目だろ(笑)。でもこの店が帰宅路にある高校生活って
結構羨ましい)で、混んでいた。やっぱコロッケは揚げたてだよね。