ナゴヤからの手紙
 
2016年11月
 
「そういえば行った事ないなあ」
 
                 今回は全てiPhone7plusです
 
名古屋に60年住んでおります(4年間京都で学生)。
私がソンガーシングライターだったころ(笑)、作った歌詞にこんなのがありました
「帰りたいふるさとに、時々そう思う。
 でもほんとはここで生まれ、ここで育った」
根っからのナゴヤ人な私ですが、不思議に一度も行った事のない場所も
ありました。
「金城埠(ふ)頭」この埠頭は、
取り扱い貨物量 日本一
貿易額 第二位(一位は東京港)
輸出額 日本一を誇る、名古屋港の花形埠頭です。
輸出第一位と言う所が、トヨタを抱える港らしいですね。
今回もナンバーのない自動車が大量に並んでいる所を通りました。
拠点が海外に移っているとはいえ、まだまだ自動車は輸出の中心ですね。
 
出来たのは戦後で、歴史は新しいのですが、名古屋市の南端と言っていい
場所にあります。陸地沿いでは緑区有松町辺りが一番南ですが、
伊勢湾の奥にある、広義の名古屋港(地下鉄の名古屋港駅は一番奥)に
突出した、岬の様な地形の先端にあり、地図ではここが名古屋の南端です。
 
貿易の拠点ですが、名古屋市民にはなじみの薄い所であったのですが、
従来から架線され、名古屋駅に接続する貨物物流用の鉄道線路が、
「あおなみ線」として整備され、最先端の金城埠頭に国際展示場
「ポートメッセ名古屋」と新幹線各世代が展示され、全国の鉄ちゃんの
熱い視線を浴びるJRの施設
「リニア・鉄道館」が出来、あおなみ線沿線も住宅地として発展しています。
ポートメッセでは、年中様々な見本市、展示会、イベントが催され、
特にフリマとかコミケ系では、名古屋の中心と言えます。
東京の湾岸エリアに比べると距離があるのが、ちょっと難ですね。
港湾地区であり、イメージは違いますが、距離感とぽつねん感では
大田区と言った感じでしょうか?
 
鉄道館も行きたいし、コミケ系も東京までは行けないので(体力的に)、
ポートメッセも行きそうな感じですが、実は一度も言った事がない。
老犬が元気な頃、ドッグランに連れて行きたかったのですが、奴は離しても
走ったりせずに、地面の臭いを嗅ぐ(雌のおしっこの、でしょう)だけなので
断念した覚えが、あります。まあそれ位の空き地が広がる所です。
 
 
ところが今回は、ちょっと行ってみたくなりました。
まあ、お分かりでしょうが、ポケモンGOですね(やっぱし(笑))。
この辺は、他と違うポケモンが出るらしい。
一概に海の近くは水系のポケモンが良く出ます。
コイキング、コダック、ヤドン、稀にミニリュウ。この辺は釣り堀にしてる
山崎川散策路で間に合うのですが、工業地帯だとコイルとかが多いらしい。
そして金城埠頭では、ラプラスの目撃例がある。
今はラプラスは東北復興関連で大量に出張中らしいですが、一度行ってみたく
なりました。
家からは23号線を使えば意外と近いので、いつもの様にカブで。
今月のヤドカリで、上等なモスを食べた日ですね。
ポートメッセには入れません。イベントやってないと只の空き家です。
まあ、うっかりイベントやってても、入場料あったら入りませんが。
ここは本当にコイルの巣でした。コイルばっかし。
 
 
これは近くの金城埠頭公園で撮ったもの。双子のイーブイが可愛かったので
撮ったのですが、ちゃっかりコイルが映り込んでます。
その公園ですが、2つのポケモンストップ(あずまや)の間の細長い敷地で
芝生もあるのですが、港のポスターに良く貼ってある、輸入荷物にまぎれて
入り込んだなんとかグモ(猛毒)がいると怖いので、ベンチに座りました。
時々ピカチュウがいるくらい(捕まらんかった)で、コイル以外はそう
珍しい物も出ず、ポケモン的には不作でした。
 
 
係留されている船には、フェンスがあって近づけませんが、コンテナを運ぶ
トレーラーが行き来してました。
海の水は、廃棄物垂れ流し状態だった60年代に比べると奇麗です。
小学校低学年の頃、名古屋港に写生会に行き、鉛筆だけのスケッチをすると
言うちょっと変わった写生会でした。
船が大好きだった私は、年齢の割には精密な描写の船を書き、結構満足して
帰ったのですが、次の週に先生が再度その絵を配って
「さあ今日は、思い出して色を塗りましょう」と言うではありませんか?
「それは写生ではないだろう?」くらいは、低学年でも神童だった(単に
理屈っぽいとも言う(笑))私は思う訳です。完全にふてくされてしまい、
適当に船を塗ったあと(黒と赤だけだもんね)、海にありとあらゆる
クレパスを塗りたくりました。隣の女の子(当時の机は二人がけ)が
おもしろがってガンガン二人で塗った結果、おどろおどろしい、海になって
しまい、流石に提出のときは怒られるかと、ドキドキしてましたが、これが、
なんということでしょう!
区の特選に選ばれたのでした(んなアホな(笑))。
審査員は
「なんという独創的な色使い!ゴッホの再来か?」とか思ったのかな(笑)。
 
という頃の海よりは断然奇麗な名古屋港でした。
 
 
今回、予算プラス時間(3時間は居たい)のため断念した鉄道・リニア館
ですが、外に昔岐阜の方を走っていた軽便鉄道のSLと名古屋近郊の通勤快速が
展示されていました。SLは可愛くてよかったけど、名古屋人は通勤電車と
言う物は地下鉄(またはその前の市電=路面電車)と思っているので、あまり
感慨はありません。ナゴヤっ子としては、一度は必ず乗った
「修学旅行専用列車”コマドリ号(あれは確か東海型)」にして欲しいですね。
とりあえず、ここは必ずしっかりレポートしたいです。
特に新幹線500系に会いたいので。
 
 
帰りはすっかり夕景に。思うのですが、堤防もなくこんなに海が近いのは
大丈夫なの?と。まあ人口は少ないのですが、人は住んでいるわけで。
この辺が大被害にあったのは、伊勢湾台風の時だけでした。あと大豪雨が一回
あの時は、内陸の川の堤防決壊が大被害だったのですが、
東北級の大津波が来ても大丈夫なのか?不安はあります。
こんなに近くに海がある事からお分かりの通り、ここは埋め立て地です。
干拓地と言うのは、遠浅の海岸を堤防で仕切りますから、でっかい堤防が
あります。埋め立て地は土やゴミを盛大に放り込んで積み上げるので、海より
高いですが、そんなに海抜は高く出来ないです。
 
そもそも今の港区全部と南区の西半分は、江戸時代までは海の下でした。
熱田神宮のすぐそばの宮の渡しから船に乗って、桑名に向かい、そのあと
鈴鹿越えをして京を目指すのが、東海道の旅でした。
前に紹介した山崎川流域に住んだと言われる藤原師長も、海辺で琵琶を弾いて
いたわけですね。
 
戦前は零戦を作る三菱の工場があり”風たちぬ”でも描かれていました。
空襲で徹底的に焼き尽くされ、現在の町は戦後の復旧です。
8/15に降伏しなかったら、原爆投下3発目の有力候補だったと言われています
あおなみ線開通以来、住宅地としても見直されていますが、一戸建て分譲地は
すくなく、高層マンションライフが中心みたいですね。
確かに都心への便利はいいです。住みたいか?と言われると、
海抜50mの天白区に育った私には、工業地帯の空気はちょっと重かったです。
異臭という程ではないんですけどね。
 
来年は、コミケ系のイベントにも初参加してみたいな。
 
以上ベルーシがお届けしました。